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日本のビジュアル系バンドから発展した農民の“殺馬特”ファッションを森ガールが差別する……新世代農民工を排除する文化の壁―中国

2013年03月15日

■日本のビジュアル系バンドから発展した農民の“殺馬特”ファッションを森ガールが差別する……新世代農民工を排除する文化の壁―中国■
 


中国には新世代農民工(新生代農民工、第二世代農民工)と呼ばれる人々がいる。改革開放以後に誕生した最初の第1世代農民工(出稼ぎ農民)は都市で暮らし肉体労働や工場労働に従事した。しかし彼らは年老いれば農村に帰る農民だった。

一方、新世代農民工は都市で生まれ育った者も多く、農村に帰るつもりはない。そもそも農業のやり方すら知らないのだ。親世代とは違い、都市での生活を楽しみ、都市の文化を消費したいという願望を持っている。しかし中国で戸籍の移動は難しく、結局のところ都市には受け入れられていない存在だ。最近、福島香織さんが新世代農民工をテーマに『中国絶望工場の若者たち 「ポスト女工哀史」世代の夢と現実』を出版している。

中国は新たな経済成長エンジンを都市化に求めているが、彼ら農民工をどのように都市に受け入れるかが鍵になるだろう。

だが、その受け入れの鍵はたんに社会制度だけではない。戸籍制度と経済格差によって都市と農村の間には深い溝がうがたれている。問題はたんに経済格差や社会制度だけではなく、人々の意識や文化にまで及んでいるのだ。以前にも「361度やジーンズウエストを着る人は農村臭い」という話を紹介したが、文化的コードもまた都市と農村を分けるものとなっている。

以下に紹介するのは新生代農民工の間に流行する“殺馬特”というファッション・ライフスタイルに関する記事だ。日本のビジュアル系バンドにルーツを持つというそのファッションは奇抜さを目指したがゆえにたどりついたものではなく、新世代農民工たちのセンスと経済能力で出来る範囲において「都市民を真似よう」とした結果だという。

しかし“殺馬特”が真似ようとしたファッションはすでに一世代前のもの。森ガールや“小清新”スタイルなど新たな流行に移った都市民の目からすれば、それはあまりにもダサく田舎くさいものにしか見えない。



■“殺馬特”:文化的貧困の産物
ブログ「張天潘:社会学創造力」、2013年3月8日(初出:『南風窓』第4期)

20130315_写真_中国_殺馬特_3


微博で“殺馬特”という単語がよく使われている。もともとは英語の「Smart」、つまり「聡明な」という単語の音訳だが、中国の文化知識エリートによる発言権独占と価値の再構築に伴い、“殺馬特”の意味は原義と真逆になった。今や”殺馬特”はほぼ罵倒の言葉としてのみ存在する。

“殺馬特”は次のようなグループとみられている。奇妙な髪型、誇張された衣装、変なアクセ、濃い化粧。そして農村・都市郊外からやってきた90後(1990年代生まれ)の青年。

20130315_写真_中国_殺馬特_1
*ベトナムのアイドルグループ・HKT。中国でバカにされる対象として話題となった。

実のところ、”殺馬特”はきわめて興味深い青年サブカルチャーだ。昨年流行したベトナム・アイドルのHKTイメージと同様、現在の中国にとって注目に値するグループ・新世代農民工のイメージとなっているからだ。新世代農民工がどのように都市に溶け込み、都市がどのように受け入れ、どのように自分個人の近代化を完成させるか。これらの問題は中国の未来に関連している。

しかし文化の視点からみれば、思考するに値する点がいくつもある。とりわけ”小清新”ファッションと対比することで、中国の文化多元化の背後にある文化の地域格差と差別とを鮮明に浮き彫りになる。


◆“殺馬特”の文化的特徴とルーツ

現在、“殺馬特”と呼ばれている社会グループ。彼らの多くは農村からやってきた90後。学歴は高卒または専門学校卒であることが多い。その身分階層と文化的価値観にはっきりとした特徴がある。

好きな音楽はネットの人気流行歌。ファッションは安い露店で売っている服とアクセサリー。携帯電話は中国製ノンブランド機。自画撮りした写真をQQ空間(テンセントの個人ブログ的なサービス)にアップする。またそれ以外に写真館で撮影した写真も多い。背景は真っ青な青空のスクリーンだ。またプリクラもある。

20130315_写真_中国_殺馬特_4

生活面では学校卒業後、故郷を離れて、郷鎮(田舎の小都市)以上の中小都市、あるいは大都市の近郊に住んでいる。家賃が安い民家、または地下室を借りて、大人数でシェアしている。仕事は理髪店の店員、警備員、レストラン従業員、フォックスコンなどの工場労働者。また法的にグレーゾーン、あるいは真っ黒な仕事へと向かう流れもある。

父親の世代が辛い建築業の仕事に従事していたのとは異なり、彼らはそうした大変な肉体労働を受け入れることは少ない。付き合いは同年齢の同郷人が多い。またネットの世界でも交友関係を作っている。勁舞(ダンスの音ゲー)、QQビデオチャットなどを通じて、同年齢の同好の友人と知り合う。余暇に行く場所はネットカフェ、ディスコ、道端の屋台など。

2010年代に登場した“殺馬特”。都市90後の“脳残非主流文化”(脳残は頭のおかしい、非主流は共産党の唱える中国的メインストリームに反するもの。)、西側諸国のパンクやヘビーメタルなどの青年サブカルチャーをルーツとしている。つまり、“殺馬特”は2000年から2010年までの都市90後の非主流文化の影響を受けている(彼らは現在、“小清新”やロリ、ショタ、都市美男、男子陰柔化、韓国風小男生らに転向した)。

非主流文化は欧米の青年サブカルチャーに追随する形で成長したが、“殺馬特”という青年サブカルチャーは非主流による叛逆ではない。ましてや海外のヘビメタ文化やゴシック文化のような、新たなスタイルで叛逆性を示すものではない。主流文化に対しての“父殺し”という要素が欠如している。

ゆえに“殺馬特”は海外の非主流的青年サブカルチャーに似た点はない。いや、事実はむしろ逆だ。彼らのこうしたイメージは主流に接近しようと努力した上での失敗なのだ。“殺馬特”たちは都市民を模倣しようとし、都市文化に接近しようとし、その一員になろうとしている。日本ビジュアル系のアニメ的イメージ、ピアス、染めた髪、性的な自由、愁いに満ちた態度……といった特徴を持つ都市の個性的青年、あるいは耽美・叙情的文芸青年(“小清新”)を真似ようとしたのだった。

しかしこうした文化に溶け込むにはお金が必要だ。それは彼らにとっては間違いなく贅沢品だ。彼らの経済力では想像のライフスタイルを実現することはできない。そのために誇張された外見、安い衣服、中国製ノンブランド携帯とネットカフェの低画素数のウェブカメラで撮影した自画撮り写真で、今のイメージを作るしかなかった。

彼らの考える流行・トレンドは都市民にとってすれば、田舎くさくおバカなものでしかない。安いスーツにスポーツシューズをあわせた農民と同じ。別の形の田舎くささ、21世紀版閏土(ルントウ、魯迅の小説『故郷』に出てくる小作人の息子)でしかない。結果として、現代の消費社会において“殺馬特”はバカにされるだけの存在で、芙蓉姐姐、犀利哥、鳳姐と同じくネット的“神”となったのだった。


◆“殺馬特”と“小清新”との距離

“殺馬特”と真反対なのがここ数年流行が続く“小清新”(説明が難しいのだが、森ガールがその代表的サブカテゴリーと言えば分かって頂けるだろうか)だ。青年文化において両極に位置し、決して交わることはない。ブルデューの言う「趣味と高尚さ」によって隔てられた階層分化となっている。

20130315_写真_中国_殺馬特_2

“小清新”は大学教育を終えた、あるいは現在大学生の女性が中心。文化的な主要な特徴はパステルカラーの服、布製の靴、白いリンネルのシャツ、くるぶしまで隠れる綿のスカート、ガラスを入れていないメガネ、スポーツファッションを好む。

好きなブランドはH&M、ユニクロ、ナイキやアディダスなど。武器はノートPC、トイデジのLOMO、一眼レフデジカメ、iPhoneなど。フォトショップで加工した逆光の暖色調の写真をSNSや微博にアップする。そのテーマはステキな食事、スタバ、エヴィアン、人形、ペットの犬など。ペット好き、子ども好きもアピールする。旅行も好きでその目的地は鼓浪嶼、麗江、烏鎮、香港、マカオ、台湾など。とりわけ日本、韓国、欧州は彼女たちの聖地だ。村上春樹、安妮宝貝、陳綺貞、柴静、劉瑜が彼女たちの文化的崇拝対象となる。

彼女たちは粗野な“殺馬特”を蔑視し、常に世を恨み続けている憤青を無視。常に媚びた振る舞いを見せ、時には時事問題に関心を寄せるものの、せいぜい「中国人はどうしてしまったの?」「この社会はどうしてしまったの?」という浅薄な意見が関の山だ。

彼女たちはより多くの時間を自分の小さな社会サークルに費やしている。過ごしている。「君が元気ならば毎日晴れだよ」「もし君と会う時、ずっと初めての出会いみたいだったらいいのに」などが彼女たちの決まり文句。彼女たちは数年前の非主流から転向してきた人々であり、同時にブルジョワジー、小資(小資産階級)の予備軍である。

“殺馬特”と“小清新”は同時に存在する文化現象であるが、両者の発言権はまったく異なる。そのことが両者にまったく異なる社会イメージを与えている。文化批評家の張檸教授は“小清新”を評価し、「新たな審美趣味の出現」と評した。「“小清新”世代の美的趣味の大きな陛下は、西洋啓蒙文学が排除した東方古典趣味への回帰を内包している」、と。もっとも典型的なのは官の態度だろう。“殺馬特”は批判され、“小清新”は干渉されず、それどころか支持されることすらある。ここにきわめて曖昧で不公正な態度がある。

もし旭日陽剛(農民出身の2人組歌手。ネット動画が話題となり2011年のCCTV旧正月特番・春晩にも参加した)ら、ネットで人気を集め同情され歓迎されてきた人々を「草の根文化」と呼ぶならば、“殺馬特”たちは雑草文化だ。彼らは人々に無視されてきた地方で生まれ育ち、成長した後も注目もされず、尊重されることも重視されることもない。それどころか、排除されかねない対象となっている。以前に流行ったネット映画「四平青年」同様、禁止の対象になりかねないのだ。

「四平青年」は吉林省四平市人民劇場の二人転(東北地方の地方劇)俳優が休みを利用して撮影したもの。東北方言の粗野なせりふであふれている。ネットで流行した後、四平市文化広電新聞出版局は同市のイメージに悪影響を与えるとして、同作に出演していた俳優をすべて解雇するよう人民劇場に要求。またネットから動画を削除するよう求めた。確かに客観的に見てもこの映画は粗野なものだったが、これほどの処罰を受ける物でもないだろう。

微博では、@殺馬特強子、@留几手、@殺馬特竜少など、“殺馬特”イメージのネット有名人も少なくない。東北の方言を使い、東北**屯などもっともらしい出身地をプロフィールに書いている。しかし彼らの発言を見ると、本物の“殺馬特”ではなく、まぎれもない文化的知識エリートだ。たんに“殺馬特”らしい言葉とイメージを借りているだけ。彼らの振るまいは“殺馬特”という社会グループを徹底的におとしめ、彼らへの差別を強め、距離を遠ざける役割を果たしている。


◆文化貧民“殺馬特”

改革開放後、社会の流動性の加速に伴い、いわゆる盲流という言葉が正式に認められた。もっとも早く都市に入り、生活を改善させた第1世代農民工たちは都市民に学び始めた。夜の露店で衣服を買い(ほとんどは時代遅れで都市民が飼わなくものだったが)、皮のバッグを持ち、腰には携帯電話をぶらさげるようになった。しかし彼らは都市に本当の意味で受け入れられることはなかった。

あれから20年、第1世代農民工の子孫たちも農村から出てきて、都市に入った。しかし運命は皮肉にも繰り返される。第2世代農民工も都市民のスタイルを学んだが、その結果、農民でもない、都市民でもない“殺馬特”ができあがった。厳密にいえば“殺馬特”たちはもはや農民ではない。戸籍上は農民との烙印を押されているとはいえ。その一方で都市の門はすでに開かれたとはいえ、中に入ると分厚いガラスが立ちふさがり、本当の意味で都市に入ることを阻んでいる。

こうした意味からして、“殺馬特”は中国社会の第三極を構成するものとなった。彼らの父親世代の農民イメージと比較すれば、彼らはけばけばしい装いの都市民だ。素朴で忍耐強い田舎の民ではない。だが都市民からすれば、“殺馬特”の骨髄には消すことのできない田舎のにおいが染みついている。どんなに努力してもそれを消すことはできない。社会学的に見て彼らは故郷もなく、また中国独特の都市・農村の二元構造から弾き出された第三極だ。文化的にも彼らはこの種の苦境に追いやられている。農村の民は奇異の視線を投げかけ、都市民は嘲笑を向ける。

同時に発言権の独占という背景にあって、農村と中小都市の物語が都市メディアを飾ることは少ない。大都市で起きたことはどんなちっぽけなことでもニュースとなる。新聞、雑誌、映画はゴージャスな装いの女性、あるいは“小清新”の写真を次々と取り上げ、都市消費主義膨張の欲望を煽っている。

こうした視線にとって“殺馬特”は隠されるべき存在だ。フォックスコンで十数件もの飛び降り自殺が相次いだ状況にあって、わずかな注目を集めたに過ぎない。彼らはグレーゾーンに生きている。あるいはブラックユーモアの世界というべきか。彼らが生きているのは文化的な隔離地域だ。民度が低く、混乱と危険の象徴とみなされている。

当然、客観的にみて、“殺馬特”の文化は見るに耐えない粗雑なもの、得体がしれないものだ。だが実際にみれば、決して低俗でも凡庸でもない。限られた教育、少ない収入、残酷な生存環境、先の見えない未来。こうした環境下にあって、彼らは文化的に自らを向上させる能力も意識も持たない。彼らは半都市化と近代化の不完全さがもたらした結果なのだ。ゆえに文化の仕掛品、物質的な貧しさだけではない「文化貧民」となってしまった。

“小清新”が安逸な生活を送り、両親の愛を一身に受け、大学教育を享受し、欲しいがままに消費している時、上からの冷たい目線で“殺馬特”たちを見下し、蔑視するべきではない。“殺馬特”たちが必要としているのは嘲笑ではなく注目であり、蔑視ではなく同情。排斥ではなく寛容なのだ。君たちがまだ親のすねをかじっているころ、彼らはやむを得ず自分の力で生きることを余儀なくされ、異郷でどうにか一日一日を乗りきっている。“小清新”には想像できない辛さを乗り越え、今、本当の都市民になろうと努力しているのだ。

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 コメント一覧 (7)

    • 1. ruby
    • 2013年03月17日 14:26
    • 4 初めて知ることばかりで、すごく面白い記事でした。
      新世代農民工の行き場のない不満がこれからどこに向かうのか以前からすごく気になっています。それと、中港台の音楽界にはなぜビジュアル系がいないのか不思議に思っていたのですが、ついに(ファッションだけだけど)登場したのも感慨深いです。
    • 2. マネ
    • 2013年03月17日 14:26
    • 2010年代に登場した“殺馬特”。都市90後の“脳残非主流文化”(脳残は頭のおかしい、非主流は共産党の唱える中国的メインストリームに反するもの。)、西側諸国のパンクやヘビーメタルなどの青年サブカルチャーをルーツとしている。つまり、“殺馬特”は2000年から2010年までの都市90後の非主流文化の影響を受けている(彼らは現在、“小清新”やロリ、ショタ、都市美男、男子陰柔化、韓国風小男生らに転向した)。

      ハイ、ハイ、四ね。
    • 3. 森ガールというよりはオリーブ少女ですね
    • 2013年03月19日 13:06
    • あえて男性と女性に階級格差を象徴させているようですが、そちらの方が共感が得られやすいんですかね。
      “殺馬特”女性と“小清新”男性の風俗も気になるところ。
    • 4. Chinanews
    • 2013年03月22日 01:03
    • >rubyさん
      コメントありがとうございます。私も勉強になることが多くて興味深い記事でした。

      それから百度百科(中国版ウィキペディアのようなもの)によると、殺馬特の元祖は1990年代末に登場した、香港のビジュアル系にかぶれた女性だそうです。香港や台湾では一巡してしまったんでしょうか。
    • 5. Chinanews
    • 2013年03月22日 01:03
    • >マネさん

      この手の流れをまとめた記事だと、どうしても類型化しすぎたり抜け落ちたりというのもあるのと思うのですが、異論反論などなどあればご教授いただけたら嬉しいです。
    • 6. Chinanews
    • 2013年03月22日 01:15
    • >森ガールというよりはオリーブ少女ですねさん
      コメントありがとうございます。おっしゃるとおりでオリーブ少女的なのですが、森ガールという言葉は中国に伝わっていてもオリーブ少女が伝わっていないのが残念なところ。廃刊のタイミングとか考えれば仕方ないのかもしれません。

      なぜ農民工の男性と都市民の女性を対比させているのかという話ですが、殺馬特という作者が注目したあまり知られていない文化を、小清新というメディアを席巻している文化に対比させたということじゃないか、と。

      記事中にも発言権という形でふれられていますが、農民工の文化、自己主張はなかなかメディアに載りません。フォックスコンの飛び降り自殺や反日デモがあった時にメディアが取材するぐらい。その意味で大学教授のちょっと上から目線が入っていてもこの記事は貴重なのですが、出稼ぎ農民の人々がより発言権を獲得する、自己主張する時代になれば面白いのにと思います。
    • 7. 名無し
    • 2015年12月02日 15:15
    • ヴィジュアル系というか、X-Japanの髪形を考えだしたHIDEのセンスの流行ですね。

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