■「中国の強硬姿勢はすべて国内の不満をそらすためのもの」論は本当か?忘れられがちな中国の外交原則■
Chinese flag / Philip Jagenstedt
■中国の対外強硬姿勢は国内の不満をそらすためのもの、なのか?
「中国の対外強硬姿勢は国内の不満をそらすためのもの」との論をちょくちょく見かける。今年2月21日に米紙ワシントンポストが掲載したインタビューでも、安倍晋三首相はこの論を展開している。すでに市民権を得た感もある「中国外交は国内向けのポーズ論」だが、見るたびに違和感を感じてきた。特に中国と直接向き合っている日本にとって、こうした論はきわめて便利な責任回避の理論として機能しているからだ。
ちょうど産経新聞がまさにその典型の論説を掲載しているので、この記事を入り口に今まで考えてきたことを、わかりにくく、回りくどく、誤解されやすいという困った文章ではあるが、述べさせて頂きたい。
習政権発足 「矛盾」を外に転嫁するな 日本は屈せず備えを万全に
MSN産経、2013年3月15日
共産党・政府幹部と一族が腐敗により手にした富は、1990年代末に「国内総生産(GDP)の13~17%」(胡鞍鋼・清華大学教授推計)に上り、経済急成長に伴い天文学的規模に達している。
所得格差指標、ジニ係数は0・61(中国人民銀行・西南財経大学調べ)とアフリカ最貧国並みだ。肺がんなどを引き起こす微粒子状物質PM2・5による大気汚染は国内はおろか日本にまで及ぶ。
民衆の集団的抗議事件は、2007年の8万件超えを最後に政府公表が停止され、すでに18万件以上との見方が一般的である。
社会・政治状況が深刻化しているにもかかわらず、習氏がこうした民族復興の夢をふりまき、「富国強軍」を呼びかけるのは、アヘン戦争後の清朝没落で半植民地化した屈辱を晴らし、アジアの盟主に返り咲きたいためだろう。
周りの国々にとって迷惑この上なく、かつ危険極まりない。
国民の不満や憤りは、腐敗や貧富格差、社会保障制度の未整備などに向けられているのである。
■日中国交正常化40周年を盛り上げようとした中国まず、私はこの話のどこに違和感を感じるのかについてお話ししたい。第一に2012年の日中関係は対立一色だった印象しか残っていないが、そのために忘れられていることがある。誤解を恐れずに言うと、中国側は日中国交正常化40周年を盛り上げようと年初から結構“我慢”を続けていた。
2012年1月、日本政府は日本排他的経済水域(EEZ)の起点となっている無人島に命名する方針を発表。4月には石原慎太郎都知事(当時)が米国での講演で尖閣諸島・魚釣島を都が買い取る意向を表明と中国の神経を逆なでする動きが続いた。
こうした動きのもとをたどれば2010年の尖閣諸島沖中国漁船衝突事故後に見せた、中国の非理性的なまでの強硬姿勢が原因である。が、中国の視点で見れば一緒に盛り上げようと誓った日中国交正常化40周年を日本側が一方的に水を注しまくったように見える。
が、最終的に中国側が完全な“敵対モード”に移行したのは9月の日本国政府による魚釣島買収発表後である。
2012年の日中対立は、両国の意思疎通が完全にちぐはぐになっていたことが最大の要因だと考えられる。“暴発”にいたるまでの中国側の動きは、「中国外交は国内向けのポーズ」論ではまったく説明がつけられない。
■「日本政治家のタカ派発言は国内向けのポーズ論」は中国メディアの十八番
そもそも、きわめてよく似た構図を持つ「日本政治家のタカ派発言は国内向けのポーズ」論は、中国メディアの十八番である。「日本人民の大多数は中国LOVEだが、ごく一部のタカ派だけが中国にかみついてきおる」というのは中国メディアにおける日本論の前提であった。
また「国内向けのポーズ」と強調することにより、それは日本国内のごたごたの問題であり、日本人にとっても無理筋のなんくせを中国に向けてきている、とりあう必要はないのだ、という結論が導き出される。
今、広く受け入れられている「中国外交は国内向けのポーズ」論もまた同じ構造を持っており、中国の無理難題は国内向けなんだからとりあう必要はないんやで、うちらは何もせんでええんやで、という責任逃れの論理となってはいないだろうか。
■忘れられがちなシンプルな答え中国外交に関する視点は大きくいくつかに大別できる。
(1)中国における森羅万象はすべて政治闘争。ポストが緑なのも政治闘争のせいなんやで(中国のポストは緑)。政敵に弱みを見せないためにも偉い人は強硬姿勢を貫かんとダメな構造になっとるんや。
(2)ネット世論の台頭もあり、中国共産党は民草の声を無視することができなくなっている。環球時報など官制メディアに「舆论绑架」(世論に誘拐される)、「民粋」(ポピュリズム)を警戒するコラムがたびたび掲載されているのがその証左。燃え上がる愛国を中国は抑えきれなくなっている。
(3)中国の資源帝国主義は一貫したものであり、未来の中国の発展を支えるため、資源を確保するためになりふり構わないのでござる。
この中のどれが正しくて、どれが間違っているのか?というのはなかなかに難しい問題である。というか、それぞれ妥当性がある論点であり、結局はそれらの複合だとしか答えられないだろう。
ただ結構、忘れられがちなのは
(4)自国の領土だと信じている領域を守るために、中国は中国なりの外交を展開している。
というシンプルな答えだ。「1970年代末まで領有権の主張してなかったやんけ」「中国国民も10年ちょっと前までは釣魚島ってなんやねんと言っていたやんか」という反論はごもっとも。だが今はそういう考えがあるという事実は抑えておくべきだろう。
「ボールは相手側にある」という常套句を外交官僚が駆け引きのために使うのはいい。だが、本当に中国の外交がそれだけだと考えてしまうのはあまりにも危険なのではないか。
関連記事:
【安倍首相インタビュー】米紙煽り記事で中国が動いた=外交ルートで照会、人民日報の格式コラムで批判日本政府、尖閣周辺など39の離島を命名へ=中国・台湾が反発【尖閣問題】“国有化”が中国を怒らしたわけ=人民戦争発動のロジックを考えた【尖閣】「今回は本当に戦争になる」日本人があまり知らない中国人の危機感と日中マッチポンプ的メディア構造について【尖閣】習近平はなぜ今、「核心的利益」に言及したのか?弱腰批判に“転ばぬ先の弁明”か
我が意を得たりという気分です。
よく取り上げられる「ガス抜き」、「国内向けのポーズ」が全てではなく、中国なりの原則や戦略に基づいて外交を進めているということですね。
一見当たり前のことですが、同時に忘れがちな点でもありますね。
それを忘れてしまうと、第三節で指摘された「中国の無理難題は国内向けなんだからとりあう必要はないんやで、うちらは何もせんでええんやで、という責任逃れの論理」になりがち。
そして、今の日中両国のメディアは正にその「責任逃れの論理」で非難の応酬をしているように思います。
これではいつまでたっても問題は解決しないでしょう。
ですが、ではどうすればいいのかと問われれば、自分にも妙案が浮かばないのですが。