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「この例外的な時代にチベット人たちに何が起ったのかを知るがいい」焼身抗議した若きチベット人僧侶の遺書(tonbani)

2013年04月15日

■僧ロプサン・ツルティムの遺書■


焼身者のまとめを作っている途中、これまで知らなかった遺書を発見した。2012年8月6日にンガバで焼身、死亡した、21歳のンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・ツルティムが残したものである(関連記事)。焼身という手段に訴えざるを得ないチベットの歴史と現状を要約し、焼身の目的を明らかにする内容だ。


■焼身の経緯

2012年8月6日午後5時過ぎ(現地時間)、アムド地方ンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・ツルティムはキルティ僧院に近い「勇者の道」で焼身を行った。スローガンを叫びながら、政府庁舎に向かい走った。道沿いにある森林管理事務所まで達した時、武装警官隊と特別警察隊に囲まれ、消火器で火を消された後、倒され、車に放り込まれ、ンガバの病院に運ばれた。
(「勇者の道」とはこの通りで焼身が連続したので、地元のチベット人が名付けたもの。)

目撃者の話によれば、焼身の最中彼は「ダライ・ラマ法王のチベット帰還を!キルティ・リンポチェの帰還を!キルティ僧院内の学校再開を!」等と叫んでいたという。車に乗せられた時にはまだ息があったという。

ロプサン・ツルティムはンガバ県チャ郷ラルワ村ザダル家出身、母ドンカル・キの息子。彼は幼少時よりンガバ・キルティ僧院の僧侶であった。2008年、僧院内で部隊により拘束され激しい暴力を受けたと伝えられる。彼はンガバ・キルティ僧院のトゥサムリン学堂論理学クラスで学んでいた。前年に焼身・死亡した僧ロプサン・プンツォクと同じクラスであった。彼はまた、バスケットボールを得意とし、ンガバのバスケットボールチームに所属していた。

ダラムサラ・キルティ僧院によれば、僧ロプサン・ツルティムはバルカムの病院に運ばれた後、間もなくして死亡した。家族が遺体の引き渡しを懇願したが、聞き入れられず、当局が火葬した後遺灰のみが家族に渡された。


■若き僧侶の遺書

しばらくして彼が遺書を残していたことが判明した。遺書の日付は2012年1月9日。焼身の7カ月前から決意していたことが分かる。内容はチベット人が中国支配の下でこれまでに受けた苦しみを要約し、己の身体を使い世界の人々に隠された真実を知らせるとの決心を表明するものである。

この遺書はダラムサラベースの「ドメ自由・正義協会」が発表したものであるが、未だ原文が手に入らないので、日本語は英訳からの重訳である(英訳はICTの焼身レポートSTORM IN THE GRASSLANDS:P157)。

以下、2012年1月9日付け僧ロプサン・ツルティムの遺書:

自由と正義に鼓舞され、弾圧と従属に挑戦するために、私はチベットのために我が身を投げ出す。人の身体は宝の中でももっとも価値ある宝、人に限らず全ての動物にとって、命はもっとも貴重なものと言われる。しかし、この驚嘆すべき時代に、ある者は焼身し、命を捧げる。非暴力の空の手と共に、世界の自由を愛する国々の人々が享受する、それと同じ自由と政治的権利を求めるために、全身から息を吐き出す。彼らは真理と共にある人々の側にいる。

この例外的な時代にチベット人たちに何が起ったのかを知るがいい。1958年、中国により侵略された後、100万人以上の人々が殺され、僧院、宝物、家々、そして文化が破壊され、全ての国と個人の貴重な財産は奪われ、チベット人の第一の精神的帰依所であるダライ・ラマ法王は亡命を余儀なくされ、ラマやリーダーたちも亡命したり、または獄に投げ入れられた。

そして、今常軌を逸した「愛国再教育」が僧院で行われている。これは如何なるチベット人も受け入れる事ができないものである。要するに、彼らは表現、移動、コミュニケーション、集会、宗教等々の権利を奪った。そして、これらの状況を外の世界に知らせるどんな言葉も許さない。彼らが外の世界に知らせることは嘘ばかりであり、誰にも本当の状況を見る事を許さない。本当の状況を知らせた者に対しては不当な批難とともに恥知らずな誹謗を行い、彼らを秘密裏に殺害したり、獄に送る。

この虐待と弾圧に虐げられた証言として、世界の人々がこの事実を知るために、真実のために、犠牲となった利他的血脈のために、自由への闘いのために、私も己の貴重な身体を投げ出す。そして、高貴な死を選択した者たちは真理と利他の力により死の恐怖から守られるという、大いなる確信と大志を持って私は己の命を犠牲にする。己の身体を使い、人間社会に属する全ての人々の慈悲の目を開かせ、暖かい心と共に事実を観察し、カルマ(因果)の法則と正義の原則に基づき、私を1人の事例として、より力のある人々により自由が奪われた、哀れな小さな人々の味わう拷問と苦しみについて、人々が考察するよすがとならんとする。

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*本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2013年4月14日付記事を許可を得て転載したものです。

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