■バイリンガルの道は険しい!■
ロシアで3年半暮らして、ゆうき(現在8歳)とりな(現在4歳)は同年代のロシア人の子供たちとほとんど変わらないぐらいロシア語をしゃべれるようになりました。さて、帰国して2ヶ月経過した今。子供たちはまったく普通にロシア語をしゃべれて、冗談も理解して笑うし、ロシアのアニメも喜んで見ています。
しかし、予想通りではありますが、変化も出てきています。私がロシア語で話しかけても日本語が戻ってくることが多くなりました。最初に日本語が増えたのは、長男ゆうきでした。理由は簡単。ゆうきの方が帰国してすぐ小学校に通い始めたからです。一方、娘のりなが保育園に入ったのは帰国から3週間後だから、ゆうきより日本語にどっぷりつかる時期ちょっと遅かったです。
さて、ゆうきが私に日本語で話しかけても、私はロシア語で話すように頼む。しかし、そうするとゆうきは話す気をなくしてしまうらしくて「もういいよ」と、黙ってしまいます。せっかく子供が話そうとしているのに、一々止めるのはかわいそうだから、最近ゆうきの日本語をそのまま聞いて私からの返事だけロシア語で返すようにしています。そして、時間をおいて、私と話すときは極力ロシア語を使うように頼む。しばらくは効き目があって、ゆうきは意識してロシア語をしゃべろうとしているけれども、そのうちまた日本語に戻ってしまいます。
それもそのはず。学校は日本語オンリーの世界だから、新しく入ってくる情報はすべて日本語になっています。それに日本独特の事情だったり、ロシアにない遊びだったりすると、なおさらロシア語が使いづらくなります。例えば、「国語」の授業で習ったことをロシア語で話すのは非常に難しいと思います。また、「お友達とキャッチボールをした」というたわいのない話でも実はロシア語で伝えるのは至難の技。なぜならば、ロシアはこの遊びはなく、「キャッチャー」などのように日本語なら一言で済むような言葉でもロシア語では一々説明しないといけなくなるからです。
やはり、母親の私が日本語でも通じるから、子供はついつい甘えてしまい、使う言語を一つに絞ってしまいます。でも、タチアナの日本語は完璧ではない。さっぱりわからないことだってある。たとえば、九九。日本語で算数の授業を一度も受けたことのないタチアナはかろうじて「ににんがし」を覚えた程度で、日本語の九九がわかりません。3月の間に、二年生は九九を暗唱し、親にチェックしてもらうという宿題が毎日のように出ていましたけれども、早口で言われても何がなんだか私にはさっぱりわからず、日本人のパパに頼るしかありませんでした。他の計算も同じで、頭をロシア語モードに切り替えない限り、タチアナは簡単な足し算さえできません。となると、ゆうきが宿題に困って私に助けを求めたとき、とうとうロシア語の世界に突入!!!
と思ったら、なかなかそういうはいきませんでした。というのは、目の前に数字が書いてあるわけだから、結局ゆうきは日本語、私はロシア語というように、それぞれが「好きな」言葉でしゃべってもことが足りてしまう。
そして、ゆうきにはロシア語をしゃべりたくない精神的な(?)理由もあるようです。ゆうきは、年中でロシアに行ったときから自分のことを「日本人」として強く意識するようになりました。ところが、どうも小学校では「ロシア人」と呼ばれたりするらしいです。本人はこの呼び方に対して強い反発を覚え、自分の中のロシア語まで否定したくなるようです。
娘のりなも最近日本語が増えました。これは、それだけりなが日本の環境(保育園や新しいお友達)に馴染んだということを意味しているから、親としてうれしい気持ちになる反面、どうすればロシア語を維持・発展できるかという悩みも増えています。
せっかく覚えたロシア語を忘れてほしくないと思いますけれども、子供をバイリンガルに育てる道が険しいと、実感している今頃です。
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個人的見解だけど