中国、新興国の「今」をお伝えする海外ニュース&コラム。
2013年05月27日
DSC_9298 / alexxis
先日の記事「昔の名作が今放映されたらどうなる?どう評価されるのだろう?」に関して、ありがたいことにその後、「中国オタク的には三国志とか水滸伝とかでこういう話はしないんですか?」という質問をいただいております。
これは確かに面白そうなので、ちょっと中国のソッチ系のサイトなどをまわってそういったことに関するやり取りを探して見ました。そんな訳で今回はその辺についてを例によって私のイイカゲンな訳で紹介させていただきます。
■中国人オタクの雑談
今の時代に三国志や水滸伝が出たら爆死するんじゃね?いくら四大名著とは言っても、今の時代ではネット小説とかが人気になっているわけだし。
そうとも限らないだろう。我が国の四大名著にはきちんと名著になっただけの理由がある。今の時代でも十分に人気は出るだろ。
うーむ……価値に関しては誰もが認めるだろうが、人気が出て金が稼げるかとなると難しいかもな。
ネット小説なんかと四大名著を比較するとか、正気か?
自分は紅楼夢は一度読んだきりだが他の作品は何度も読んだし三国志なんかは今でも好みだ。しかし、現在になって初めて出てきたらと言う話になるとちょっと難しいと感じてしまうのも確かだ。誰も読まないのではなく、皆に届かないという意味で。
今の読者の好みや評価の仕方は煩雑なものになっているし、四大名著は歴史を経て評価された名声によって広く知られている。もし今の時代に書かれたとしたら、他の作品に埋もれてしまい我々の目に届かないのではないだろうか。
残念ながら三国志や水滸伝が今の時代のコンテンツの嗜好や消費の傾向から外れているというのはあるだろうな。現代語で出ることによる、読み易さのブーストを考慮してもだ。
私は小学校の頃に三国志、水滸伝、西遊記と十数回は繰り返し読んでいた。紅楼夢も何回か繰り返し読んだし、現代に出ても普通に人気出るだろうし読む人間は多いはず。
四大名著ってのは長い時間の中でふるい分けられた結果残った存在だ。我が国の歴史の中でふるい分けられた小説に勝てるものなんてそうそうあるわけがない。
とりあえず今の感覚で人気にならないかもしれない、売れないかもしれないという原因になる部分を考えてみようか。俺達オタクの感覚で。まずストーリーが冗長すぎる、ハーレム要素やお色気要素も薄い、主人公の最強感万能感も小さいとか……どうだろう!?
今の本の売り方だとこういう作品は出版してウケるかとなると厳しいかもな。よし、お色気ハーレム要素が薄いというなら金瓶梅を出そう!
アイデアやキャラの個性に関しては今の時代になっても古く感じないな。封神演義とかもそうだ。しかしストーリーの冗長さに関してはあんまり擁護できないかもしれん。
我が国の四大名著の最も重要な特徴は長い時間を経てそれでも人気が高いということだ。どんなに時が経とうが好きになる人間がいるからこその四大名著だ。ネット小説やラノベが好きだというのは構わないが、四大名著を貶すようなバカバカしい話をするなよ。
すまん、私は正直言って三国演義とか読むのってめんどくさくて疲れる。
ネット小説やラノベとかにカテゴライズすると反感持つ人多いだろうけど、大衆娯楽として考えた場合どうなるかを考えてみるのはどうだ?
四大名著によくある中盤のワンパターンでグダグダな引き伸ばしとか、現代のネット小説に通じるものが……
言っちゃなんだが自分もその感覚分かるわ。この展開、ネット小説みたいだなーと思ったことある。いや、どっちが先なのかは明らかなんだが。あと水滸伝の宋江に関してはネット小説のように作者の願望が透けて見えるよな。作品自体は面白いんだけどね。
ハーレム展開が無いとか言うヤツ、間違っているぞ。三国志はリアルに後宮もってる人間ばかりじゃないか。劉備とかでさえ複数の妻と妾がいるんだぞ!
水滸伝は虚淵玄にリメイクしてもらえばきっといける!最後はほぼ全滅エンドだし!
主人公に関しては微妙なものがあるが、ストーリーや設定方面の完成度が高いのは間違いない。しかし今の「消費」には合わないような気もしたり……
今の動画サイトで見るんなら普通にコメント弾幕で楽しめそうだし、腐女子需要も出て来るんじゃね?問題はそういったフォーマットになるかだが。
確かに文学的な価値は極めて高いが、三国演義とかは通俗文学なんだから当時のラノベみたいなもんだと言えなくもないだろ。ネット小説なんかを比べる価値も無いと切り捨てるのもどうかと思うが。
現代に出てきたら、四大名著に関するファンとアンチの想像を絶する戦いが巻き起こりそうだ。ネットに厨や小学生による荒らしとやらせの炎が吹き荒れるに違いない!
時代を越えて生き残っているんだから今の時代に出ても人気は出るでしょ。今の時代、少し人気になった程度では五年も経ったら消えてしまう。今よりサイクルは緩やかかもしれないが、四大名著はそういう流れを生き残ってきたんだぜ。
私自身、四大名著は何度も繰り返し読んだけど周りの反応を見ると人気に関しては何とも言えなくなる。名著、文学的に価値が高い作品は数多いし、今の時代簡単にそういった作品に触れることができるが、一体どれだけの人間がわざわざそれを読むと思う?「自分は楽しめた」「自分は何度も読み返すほど好きだった」というのは現代社会における作品の成功の根拠にはならないぞ。しかもいくら四大名著であっても現代に突如出現した場合、面白い内容はそのままかもしれないが「歴史的地位」は無いんだぞ?
今の時代の嗜好に合わないとか読者の好みが変わってきているとかいう話もあるけど、需要は確実に存在する。
「徳川家康」がウチの国で人気になったのを思い出してみるといい。ああいった重厚な歴史娯楽小説がウチの国では明らかに不足している。三国演義が大人気になる可能性は十分にある!
どういった層に人気が出るかが読めないな。最悪埋もれることもあるという気もしてしまう。出るタイミングとメディア次第じゃないかな。
最近の人気の出方から考えると、スタートさえうまくいけば悪くない結果につながると思うんだが。紅楼夢は各ヒロインに関してずっと昔から各ヒロインのファンによる不毛な争いや最萌えトーナメントみたいなことやってるし、普通に俺達みたいなオタク層にも人気が出そうな気もするが。
四大名著に関して考えるときに何とも言えない気分になるのが、ウチの国の文学には四大名著の後継的な作品が存在しないという事だ。これは欧米の名著が影響を与え模倣されその結果更なる名作が生まれていったのとは異なる。だから現代に四大名著が出たとしても人気になるとは思うが、これはある意味では残念な話なのではないだろうか。
ウチの国では古典ネタの改変だとかは社会的に批判されるからねぇ。ちょっと遊んだ作品が出ると「古典は変えてはいけない」とかいう批判が必ず出る。
しかも現代では政治的にコントロールしようとするから実質的にそういった作品が作れなくなってしまっている。もし関連部門のそういったやり方が無く、色んな想像力の結果を認めることが出来たなら、ウチの国のアニメとかもっと面白い題材が増えていたのではないか……なんて妄想をしてしまうこともあるよ。