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「尖閣」は中国語だった、デジタル化史料で読む尖閣命名と翻訳の歴史(犬大将)

2013年07月04日

■「尖閣」は中国語■
 


20130704_写真_中国_尖閣_


以下は犬大将さんから寄稿いただいた記事。尖閣諸島の“尖閣”という単語はおそらく英語を訳した中国語をそのまま採用しているのではないか、という分析です。荒れやすい話題ですので最初に言っておきますと、尖閣諸島の領有権がどうこうという話に関係するものではありません。尖閣という地名をつけた歴史的事実に対する考察、あるいは当時の翻訳事情を理解する1エピソードとしてご理解ください(以上は高口康太)。


■1900年に尖閣諸島と命名

尖閣諸島と命名したのは1900年の黒岩恒である(尖閣諸島 - Wikipedia)が、明治の海軍の水路部が英国海軍の水路誌などを参考にしてまとめた『寰瀛水路誌』第4巻第二版(明治22 - 1889)(国会図書館デジタル化資料)の時点で、現在、尖閣諸島と呼んでいる島嶼群について「和平山ホアピンス並ニ尖閣群嶋ピンナックルス(Hoa-pin su and the Pinnacle group.)と呼称している。

ここでいうところの「尖閣群嶋」は今言うところの北小島南小島などの小島群である。和平山(ホアピンス)は、この本の座標はすこしズレているが、記述からして、今言うところの魚釣島(釣魚臺)。その他の久場島(黄尾嶼)は低牙吾蘇(チヤウス)島 (Tia-usu or more probably Tiaou su.)、大正島(赤尾嶼)は爾勒里(ラレー)岩 (Raleigh rock.)となっている。ここでおもしろいのは、久場島が probably Tiaou su ということでこれがたぶん釣魚だということになっていることだが、それはとりあえずおいておく。


■1845年に "Pinnacle Islands" と命名

先に引用したWikipediaは日本語版だが、中文版の方(釣魚臺列嶼)によると、1845年英国海軍がそのあたりを調査したときにEdword Belcher が "Pinnacle Islands" と命名したらしい。

その調査は以下にまとめられている。
Narrative of the voyage of H. M. S. Samarang, during the years 1843-46; Belcher, Edward, Sir, 1799-1877 : Internet Archive

海図に Hoa-pin-san と書いてあるところを調査しに行くわけだが、八重山の水先案内人はその名前では知らず、島の名も宮古と与那国で匇惶のうちに比定したみたいなことが書いてある。このあたり矛盾しておりどうやって島の名前を決めたのか気になるところだ。Pinnacle についても当然のようにでてくるので、固有名詞としての Pinnacle ではなく「とんがった島」というだけの意味かもしれず、もしくはもっと前にだれかがそういう名前で海図に書きこんだのかもしれない。そこまで探しだす能力もないのでこれもとりあえずおいておく。


■「尖閣」という訳語はあまり日本語的ではない

さてその pinnacle に尖閣という訳語が附されていたわけだが、この「尖閣」、日本語漢語としては少々妙だと前からおもっていた。たとえば和訳英辞林 (1871序)  (国立国会図書館デジタル化資料)では

Pin'na-cle,s. 塔。屋根ノ棟。頂上。

と書かれている。
(なお国家図書館デジタル化資料の和訳英辞林は大正増補と冠されている。何冊もデジタル化されているものだが、そのうち明治20年の刊記をもつものでも大正増補としてあるので別の意味で大正を附しているのだろう)

これが日本語的な訳ですよ。また最初の和英辞書として名高いヘボン先生の和英語林集成(国会図書館デジタル化資料)についてる英和辞書の英和語林集成だと

PINNACLE,n. Zetchō.

となってます。絶頂.…..微妙な訳語ですな。


■英華和訳字典にあった「Pinnacle=尖閣」

ところで西洋との接触は当然ながら大市場である中国の方が先でかつ深い。ついこないだ日本は中国にGDP追いこされたとか騒いでましたが、歴史的には中国が日本の数倍の経済規模なのが当然です。もっとも日本も相当な規模があるんですが、中国の方が数倍デカい上に脇が甘いのでみんな中国をめざすわけです。

まぁアヘン戦争とかなんとか説明するのも野暮ですが、そういうわけで、19世紀の中国には英米系の宣教師が入りこんで布教開始するわけです。この宣教師、経済尖兵国家スパイ扱いされることもありますが、かれらも宗教業界の企業戦士なわけで、新市場があればのりこんでいくのは当然ですね。で、布教の最初にすることは言葉をおぼえること。そのために辞書をつくります。というわけで英語辞書も中国の方が先にできます。さらに香港上海にイギリスの地面ができるわけで字引はどんどんできますな。

で、日本人は漢字が読めるので、明治初期の英語学習にその「英華字典」は重宝がられるわけです。

たとえば英華和訳字典. 坤(明治14 1881)(国立国会図書館デジタル化資料)みたいに英華字典を和訳したような辞書もあります。これは英語-中国語-日本語(カタカナ)-日本語(ローマ字音)という順番で排列されています。これでpinnacleをしらべてみやすく改行すると、

Pinnacle, n.
a slender turret,尖閣,ホソク トガリタル タウ,hosoku togari taru tō;
summit,頂,顛,ゼツテウ,zetchō,イタダキ,itadaki;
the pinnacle of a temple,殿頂,デンダウ ノ イタダキ、den-dō no itadaki;
the pinnacle of glory,聲價頂高,榮威頂高,聲名頂重,エイクワノキハマリ,yei-kuua no kiwamari.

あれ?第一訳語に「尖閣」がありますね。細く尖りたる塔、それが尖閣というわけです。つまり「尖閣」は中国語なわけです。まぁしかし「閣」の字がなんか現代中国語的な語感でもなく、広東語とか南京官話とか南方方言っぽい感じではありますな。まぁ19世紀のものだからそこはよい。


■「尖閣」という中国語が採用された理由を推測

ではなぜ『寰瀛水路誌』でPinnacleに対して尖閣という中国語がつかわれているのか。それはまず『寰瀛水路誌』が参考にした英国海軍の水路誌をみつけないといけないが寝転がりながらちょっとネットでさがしてもみつからないのでとりあえずおいておき、推測だけ書いておきましょう。

まず「日本人が英国海軍の水路誌の記事をひきうつしたとき、適当に漢字をあてるのに訳語を英華字典からひっぱってきた」というのが考えられる。二字の漢語だからいい感じだとおもったのかもしれない。ただ、ここで引用しただけでも低牙吾蘇、爾勒里という日本語漢字らしくない漢字の当て字がされているので、「英国海軍で雇われている香港人が音は適当に当て字し、意味のあるものは訳した。それを日本人がクソ真面目にそのまま引用した」という可能性もある。


■中国語の訳語がそのまま採用されなかった概念

どっちにしても、尖閣の二字が中国語起源だということは言える。まぁこのことは「中華人民共和国」の「人民」と「共和国」が日本で"people"と"republic"にあてられた漢語だというのとおなじくらいの意味しかないのですが、ここでその英華字典で people と republic がどんな風に訳されたのか見てみましょう。

おなじように英華和訳字典から引用します。

People,n.百姓,民,民人,羣下,平民,小民,蒼生,蒸民,元元,子民,ショミン,sho-min,ジンミン,jin-min,タミ,tami,ヒヤクシヤウ,hiyaku-shō,ヒト,hito;

Republic,n. 衆政之國,衆政之邦,公共之政,キヨウクワ セイジ ノ クニ,kiyō-kuwa-sei-ji no kuni;

people や republic を新しい政治概念ともおもわず、テキトーに訳していることがわかりますね。もし清人がこのとき西洋の概念を真摯に研究していたならば、日本は「尖閣」の二字とおなじように中国経由で西洋の概念を学んでいたことでしょう。「尖閣」の二字は中国経由で西洋のものごとをとりこんでいた事もあったという名残であるともいえます。

付言しておきますが水路誌は航海の安全のために航路情報を提供するのが目的であって、どの島はどこの領土とかそういう情報はありません。そもそもこの時代、航海技術がまだまだ未熟なので領海の概念はまだ確立してませんね。

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*本記事はブログ「メモ@inudaisho」の2013年7月4日付記事を許可を得て転載したものです。

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