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2013年07月27日
台湾また行き台湾 / hydlide
■「日治」(日本統治期台湾)から「日拠」(日本占拠期台湾)へ
2013年7月22日、台湾の馬英九政権は、行政文書で、台湾の日本植民地時代を指す用語を「日拠」(日本占拠時代)に統一すると発表した。これまでは中立的な用語の「日治」(日本統治時代)と「日拠」が混在していたが、日本の不法占拠というニュアンスが強い「日拠」という言葉に統一されることになった(読売)。
日本、台湾を問わず、「やはり馬英九は反日」「中国本土に配慮したのでは」といった憶測が飛び交っているが、実際のところはそう簡単な話ではない。「日治・日拠」問題の核心は「政治的に自由な、正しい歴史観なんてない」というきわめて根源的な問題である。
台湾の“ナショナル・アイデンティティ”、歴史学界の潮流、あるいは歴史学のトレンドといった、きわめて深い問題に触れている話題であり、正直私がさらりと書けるようなネタではないのだが、そのうち誰かふさわしい人が書く呼び水になればと願い、蛮勇をふるって記事を書きたい。間違えがあれば優しく指摘していただければありがたい。
■台湾版新しい歴史教科書
発端となったのは今年、3社の出版社が新しい歴史教科書を出版しようとしたことだ。いずれも“一つの中国”的歴史観を強く推す学者が執筆したもので、従来使われてきた「日治」という用語ではなく、「日拠」という用語を使うなど、現行の台湾の歴史教育に挑戦する内容。教育部教科書審査委員会が修正を求めたが、これがメディアで取りざたされ、大問題となった。
もともと二次大戦終戦後には「日治」という言葉が一般的だったというが、1951年に国民党が「日拠」という言葉を使うようメディアに通達。日本が台湾を不法占拠したと意識づけるよう促した。これが変わったのが1997年の李登輝総統政権。教育改革を受け、「日治」という言葉に統一された。そして民進党から政権を奪還した国民党の馬英九政権が2期目を迎えた今、再び「日拠」へと天秤は戻りつつある。
■台湾版新しい歴史教科書は中国・漢民族史観
新しく作成された歴史教科書はなぜ「日拠」という用語を使いたがるのか。これをたんに「日本が不法占拠した」という意味にしたいと考えるのはミスリードだ。
この台湾の新しい歴史教科書は、台湾は古来より一貫して中国=漢民族圏の一部という歴史観を持っている。ゆえに日本統治時代が“不法”なのはもちろんのこと、17世紀のオランダの支配も不法なものとして描かれるし、その後の鄭氏政権も台湾の独立政権ではなく、明朝の亡命政権であるとして「明鄭」と表記する。漢民族の台湾移住が本格化したのは19世紀のことだが、あくまで漢民族圏の一部として台湾史を描くという意図を持っている。
■現行教科書の歴史観
では現行教科書の歴史観はどのようになっているのか。台湾版新しい歴史教科書の作者の一人である謝大寧は6月24日、中国時報にコラム「自編歴史教科書の境遇」を投稿。台湾の現行歴史観は陳水扁政権の教育部長官である歴史学者・杜正勝の同心円史観に影響されていると批判した。この同心円史観とは台湾から中国、アジアへと同心円のように叙述を広げていくスキームであり、中国という中心に視点を据えた歴史観を克服することを目指している。
この同心円史観が十分な成果をあげているかどうかは別として、その方向性としてはアカデミックのレベルでも“ナウい歴史学”に合致している。すなわち一国史観、単一の視点を克服し、境界を越える関係性を重視していこうというトレンドだ。
もっともアカデミックなトレンドに合致しているからといって、はたまた「日治」という用語が比較的中立的な用語だからと言って、この歴史観が政治的な要素がないとは言えない。
■中華民国史観と台湾独立史観
2013年7月18日付聯合報は、「日拠・日治」の対立は中華民国史観と台湾独立史観の対立にほかならないと指摘する。
すなわち
国民党 民進党
中華民国史観 台湾独立史観
日拠 日治
光復(回復) 終戦