■「ネットの勝利」がないと動かない中国の司法、ある女性歌手の“解放”を考える■
2013年7月23日、歌手、作家、記者の呉虹飛さんがマイクロブログ上での発言を理由に拘束された。言論の自由を侵すなど中国ネット民は強く反発。その結果、刑事拘留(日本の拘置と同じでと起訴前に身柄を拘束して取り調べること)されていたはずが、行政拘留(裁判にかけることなく軽微な処罰を与えられるという中国特有の制度。最長15日間まで)へと処分は変更された。
この喜ばしい「ネット民の勝利」の裏側には、中国の法治及び法意識の不備が透けて見える。
■問題発言
問題の書き込みは以下のとおり。

私が爆破したいと思っている場所は京人材交流センターの居民委員会、それからクソッタレの(北京市)建設委員会。言っておきたいけど、建設委員会がどんなとこなのか、何をしているかは知らない。ただ建設委員会のやつらは全員バカということだけはわかる。建設委員会のお友達もみんなブラックリストに入れる。それからクソッタレのまったく節操のない、いわゆる良い人も爆破したい。(爆破されるのが)誰かを教えるほどバカじゃないよ。あいつらが吹き飛んでニュースになった時、名前がわかるでしょう。
この発言は21日未明に書き込まれたものだが、呉さんは同日午後に発言を削除。かわって以下のような発言を書き残した。
私は「炸」したい……北京人材交流センターの居民委員会横のマクドナルド……の手羽先、ポテト、マントウ。
*「炸」は中国語で「爆破」「揚げる」と2つの意味を持つ。途中までだと「居民委員会を爆破したい」と誤読できてしまうが、最後まで読むと「手羽先を揚げたい」という意味になるかけことば。
元発言は削除されたが、各所に転載されるなどネットの反響が大きかった。かくして警察が呉さんを「寻衅滋事」(挑発騒動)罪の容疑で逮捕。ネット民が言論弾圧だ、やりすぎだと批判して、刑事拘留から行政拘留に切り替えられて8月2日に釈放予定というふうに展開していく。
中国ネット民は呉さん擁護一色に染まったわけだが、私が書き込みを見た最初の感想は「日本でこの書き込みをしたら逮捕されても不思議はないのでは」というものだった。日時は指定していないし、「爆破する」という断定調ではなく「爆破したいと思っている」と濁しているものの、犯行対象は明確に指定している。ラストの「あいつらが吹き飛んでニュースになった時、名前がわかるでしょう」という一文を考えても、犯罪予告ととられても仕方ないのではないか。
■世論の顔色を見た権力が司法を動かすはたして呉さんの書き込みは刑法に違反しているのか、それとも警察の勇み足なのか。釈放が決まった今も明らかではない。司法が独立しておらず、権力に左右される、あるいは世論の顔色を見た権力に左右されるという事例は枚挙にいとまがない。
例えば呉さんの書き込みの発端となった空港爆破事件でも同様のことが言える。
7月20日、北京国際空港第三ターミナルで爆発事件が起きた。広東省東莞市当局による暴行を受け半身不髄になった冀中星さんによる犯行。冀さんは賠償を求め繰り返し陳情してきたが、認められることはなく、最終的に空港での爆発という耳目を引く手段でのアピールに訴えた。
爆発によって冀さんは重傷を負い左手首が吹き飛んだという。一方でこの決死の抗議は世間の同情を集め、当局に大きな圧力を加えることになった。これまでいくら陳情しても反応はなかったが、世論の盛り上がりを受け東莞市当局は再調査を決めたという。
■ニュースと大騒ぎの力権力を動かすためには世論の盛り上がりが必要となる。ただの注目ではダメだ。黙殺することと譲歩することを天秤にかけ、譲歩して世論をなだめたほうが徳だと権力が判断した時に初めて、事態は動くことになる。
だが自爆であったり、著名人がらみであったりというなにかニュースバリューがなければ、世間の注目は集められない。冀さんはそのつらい境遇をネットで訴えていたが、自爆するまで誰もその書き込みに注目することはなかった。
かくして中国のネットには権力の横暴を訴える書き込みがあふれることになる。そのうち幾分かは真実が含まれているが、話を盛って大げさにすることは欠かせない。なにせ世の中にはニュースがあふれているのだ。ちょっとやそっとの話では、人々の注目を集めることはできない。
■疲れる中国社会呉さんの処分が刑事裁判から軽微な行政拘留に変わったのは、ネットの勝利と言えるかもしれない。だがこうした事例が積み重ねられるたびに、「注目を集めたものがち」「ネットの騒ぎや炎上を起こした者が勝ち」という戦術への支持が高まることになる。そうして中国のネットには決死の行動にでたエピソードや大仰に盛られた話があふれ、あるいは話を盛る技術のない人は誰も読んでくれない書き込みをせっせとネットに残すことになる。
果たして呉さんの書き込みは刑法に触れるものであったのか。中国のネットを眺めても、冷静にそうした点を議論している人はほとんどいない。政府に批判的なネット民たちもまた、大騒ぎを起こして権力を動かすという法治とは真逆のルールに従って動いている。
今の中国では公平な司法がないのだから仕方がないのだ、と言ってしまえばそれまでの話。確かにそのとおりだろう。ただ、大騒ぎを起こさなければ事件を解決できないという、誰もが疲れるこの社会構造がいつまで続くのだろうかと考えるとぼうぜんとしてしまう。
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