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チベット抗議デモと発砲事件の背景、“精神的原爆”としての毛沢東ポスターの強要(tonbani)

2013年10月11日

■ウーセル・ブログ:なぜ「領袖ポスター」を僧院や家庭に贈る必要があるのか?■


2013年10月、チベット自治区ナクチュ地区ディル県では地元チベット人による抗議デモに対し、中国の軍・警察が発砲する事件が起きた。

その発端となったのは愛国愛党キャンペーンの強化だ。いわゆる「九有」政策(領袖ポスター、国旗、道路、水、電気、ラジオ・テレビ、映画、図書室、新聞をチベットの寺院や村に“贈与”するという政策)は昨年から進められてきたが、ディル県では9月10日からキャンペーンが始まったという。

ディル県の現状について情報は少ないが、地元出身のチベット人によれば、現地の80%の世帯には電気もない状況とのこと。当局の情報封鎖もあろうが、もともと電気がなく携帯を持っている住民は少ないことが要因と思われる。発砲事件があったというダタン郷(达塘乡)第四村、森塘村を衛星写真でチェックすると、何もない僻地だということが一目で分かる。その田舎の村に大量の軍・警察が派遣され、村民に対して発砲したわけだ。

村人たちもゆえなくして抗議デモを起こしたわけではない。なぜ領袖ポスターや国旗のおしつけがチベット人の反発を呼んだのか。この点についてチベット人作家ツェリン・ウーセル氏が解説している。

「九有」政策の内の一つである毛沢東と鄧小平、江沢民、胡錦濤という「領袖4人のポスター」を取り上げ、これを殺傷力を持ち、流血と死をつくり出す「精神的原爆」であると指摘している。共産党崇拝という銃口により強制される新たな宗教。領袖ポスターは祭壇中央を飾るための必需品とされている。


なぜ「領袖ポスター」を僧院や家庭に贈る必要があるのか?
ブログ・看不見的西蔵、2013年10月1日

翻訳:@yuntaitaiさん

20131011_写真_チベット_1

20131011_写真_チベット_2


■九有政策

チベット当局は昨年初めから、僧院と郷村で「九有」政策(国旗や道路、水、電気、テレビなど9項目の普及事業)を始めた。このうち一つ目の「有」は毛沢東と鄧小平、江沢民、胡錦濤という領袖4人のポスターで、ネット上でとても大きな話題になった。より多かったのは疑問と批判の方だ。世論の考えでは、これは現地の宗教信仰をひどく破壊し、北朝鮮に見習って時代に逆行する行為だ。研究者の考えでは、これはチベット人の忍耐力をすり減らすだけであり、更に大きな反抗の土壌となり、更に大きな矛盾をため込んでしまう。

「文革」などの政治運動を経験してきた多くの中国人は、「領袖ポスター」を押し付ける行為に不快感を抱く。確かに中国社会には大量の毛沢東崇拝者がいるが、毛を嫌悪する者も相当数いて、毛を「有害な人物」「肉の薫製」と呼ぶ者も少なくない。
(※訳注=「有害な人物」は中国語で「蟊賊」。「毛」「沢」と発音が似ているので、毛沢東を「蟊賊東」と書く中国人もいる。「肉の薫製」は、毛の遺体が防腐処理されていることと、毛の故郷の名物が薫製料理であることを引っ掛けた呼び方。)


■領袖ポスターの狙い:チベット人を威嚇し困惑させる精神の爆弾

チベットにいる中国共産党の役人は決して事情を知らないわけではない。また、21世紀の今日、行政的な手段で仏殿や僧坊、家庭に「領袖ポスター」を掲げるよう力づくで要求するのが全くの笑い話だと分かっていないわけでもない。これは単なる洗脳の問題ではない。単に外の世界をだまし、チベット人民がどれだけ共産党を熱烈に愛しているかといった虚像をつくり出す問題でもない。それほど簡単な話ではないし、それほど単純化させるべきではない。深く追究していくと、この中にはより高圧的な意図とより長期的なたくらみが絡み合っているのが分かる。一貫した傲慢が表れているのも分かる。

党の宣伝員たちや「チベット問題」を研究するブレーンたちは決して愚か者ではない。おそらく、往年に毛がつくった精神的原爆の威力から経験と教訓をくみ取り、精神的原爆を引き続き製造することがチベット人にまた効力を持つと考えているのだろう。もちろん、これは糖衣に包まれた砲弾というだけではない。より重要なのは、殺傷力を持ち、流血と死をつくり出す砲弾だということだ。当時、毛の精神的原爆は威嚇と困惑の二つの効果をもたらした。今では、彼の後継者が使い続け、今日のチベット人に対処している。

「領袖ポスター」はそうした砲弾の一つだ。その高圧的な意図は、チベット人の供える仏像に取って代わり、偽の宗教信仰で本物の宗教信仰に取って代わろうというたくらみに表れている。彼らは環境を変えること、特に長期的に環境を変えることが効果を生むだろうと考えているらしい。だから、党の思想的な死刑執行人たちは決して一切を顧みずに無鉄砲なことをしているのではなく、達成したい目標が何なのかはっきりと分かっている。ただ、人に非難される愚かな姿が表面に現れてきているだけだ。


■領袖ポスターはなぜチベット人にのみ強要されるのか?

しかし、意味深長なのは、なぜ彼らが目的を果たせると必ず思い込むのか、だ。毛の時代に一度獲得した効果のせいだろうか?続いて深く追究していくと、今日の彼らは過去に比べ、何の変化や進歩もないのだと分かる。

私が言いたいのは、事実上、彼らは常にチベット人を別の種、彼らより遥かに低くて未開の種だとみなしているということだ。彼らの認識の中では、チベット人が本物の宗教に信仰心を持っていようと、偽の宗教に信仰心を持っていようと、どちらも同じ迷信なのだ。偽の宗教が本物の宗教に取って代わる時、チベット人は素直に従うほかなく、異論を持てず、ひどい場合にはそれに慣れてしまう可能性がある。これは党の勝利を意味するだろう。はっきり言えば、彼らはもとからチベット人について何も理解することなく、蔑視しているのだ。

言い換えるなら、北京や上海、あるいは河南省や四川省ではなく、ただチベットだけでこのような「領袖ポスター」政策をしつこく実施するのは、大多数の中国人は無信仰で、物質と金銭だけにしか吸い寄せられないことを彼らが知っているからだ。「領袖ポスター」で飲み食いできるのか?当たりくじの番号でも印刷していない限り、捨てられてしまうだろう。

「領袖ポスター」は偽の宗教による代替品にほかならない。チベットに入った解放軍があちこちに掲げた毛沢東と朱徳の肖像から、今の「4人の領袖ポスター」(遠からず「5人の領袖ポスター」になるだろう)まで、次のような意味がそれとなく含まれている。

「あなたたちは我々に解放されたのであり、我々があなたたちに新しい人生を与えた。だから、あなたたちは必ず言動で恩徳への感謝を示し、忠誠を尽くさなければならない」

「領袖ポスター」の強制的な贈呈から、望まないまま受け取る時まで、チベット人の笑顔は泣き顔よりもぶざまだ。必ず口にしなければならない感激の言葉は権力者の横暴を証明している。ひどい場合には、自宅内でのレイアウトまでも党の管理権限に組み込まれる。「領袖ポスター」は部屋の中心に飾り、「4人の領袖ポスターの仏壇」を構成する。それだけではなく、党職員たちは頻繁に検査する必要がある。もし誰かが飾らなかったり、きちんと飾っていなかったりすれば、不満を持っている証拠になる。

20131011_写真_チベット_3

だが、仏殿や僧坊、各家庭で「領袖ポスター」を見晴らしのきく位置に飾るのは、巨大な暗い影が全ての人の暮らしを覆うようなものだ。顔を上げたり、体の向きを変えたりすれば、超人のように飾られた彼らの顔が見える。

たとえ見えないふりをしても、「ビッグ・ブラザーがあなたを見守っている」という感覚から逃げようがないだろう。1人の「ビッグ・ブラザー」から4人か5人の「ビッグ・ブラザー」まで、人数の増加はあたかも支配力が倍増するかのようだ。チベット人僧俗はどうすれば息をつけるのだろう?

そして、ラサ市内の政府庁舎には、巨大な「領袖ポスター」が高く掲げられ、夜の闇の中で強烈なライトに照らされている。まるで党の超人たちは暗闇までも屈服させる権利があると宣言しているかのようだ。
2013年9月29日(RFA特約評論)

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*本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2013年10月11日付記事を許可を得て転載したものです。

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