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「あなたの家族・親戚で「富農」として流刑になった人がいますか?」ちょっと怖いソ連の話(タチアナ)

2013年10月15日

■ちょっと怖いソ連の話■

I.L.E - mars 2002
I.L.E - mars 2002 / abdallahh


前回、息子の公立小学校の入学手続きについて書きましたけれども、書いていて私が大学に入るときのことを思い出しました。公立小学校とは違って、ロシアの大学には、決まった記入用紙がしっかりありました。そして、実は、私には、その用紙にまつわる、一生忘れられない体験があります。今日はその話をしたいと思います。

■入学願書の怖い質問

ソ連の大学入学願書の前半は日本の履歴書とそう変わらない内容でした。しかし、後半になると、入学希望者の家族に関する下記のような質問が並んでいました。

1)あなたの家族・親戚で「富農」(クラーク)として流刑になった人がいますか?
2)あなたの家族・親戚で「人民の敵」として逮捕された人がいますか?
3)あなたの家族・親戚でドイツ軍が占領した地域に残っていた人がいますか?

ソ連の歴史を日本語で説明するのは難しいので、ごく簡単にまとめます。1918年ぐらいに、共産党は土地も家畜もすべて共同にし、農業を集団で行う「コルホーズ」という組織を作り始めました。豊かな農家ほどこの集団農業に反対したので、政府はこうした「富農」たちの土地を没収し、彼らを住み慣れた地域から追い出し、シベリアなどに送りました。何も持たずに家を追い出されたその人たちの多くは飢餓などで命を落としました。

「人民の敵」とは共産党の発想に反対している人です。ソ連では公に共産党を批判することはずっと許されなかったのですが、「人民の敵」の逮捕が一番多かったのは1937年前後でした。何の罪もない人がほとんどだったということは後になってわかりました。

そして、ドイツ軍の話は第二次世界大戦のことです。当初、ソ連の方が負けていたので、ドイツ軍がどんどんソ連の領土に入ってきました。一般市民の多くはこうした地域から避難しましたが、何らかの事情でその土地にとどまってしまった人もいました。

さて、どうして大学は入学希望者たちの家族のことまで知りたがっているのでしょうか?すでにおわかりでしょうけれども、「人民の敵」の子孫も反ソの考えを持っている可能性があるから、そういう「危ない」人を大学に入れるわけにはいかない。ドイツ軍が来るというのに逃げなかった人は、もともとドイツの味方だった可能性がある。そういう人の子孫もドイツのスパイをしているかもしれないから、ソ連の大学に入学を許されるはずがない、そういう発想でした。


■ロシアらしい対応

私が覚えている質問はごく一部なのですが、こうして国は人をふるいにかけていたわけです。しかし、私の家族で該当する人がいたとしても、それは私のおじいちゃんかひいおじいちゃんの世代です。こうしてソ連では家族の過去は孫の将来にまで大きく影響していたわけです。

さて、私がこの入学願書を手にしたのはいつ頃だと思いますか?年がバレますけれども(とっくにバレていたりして?(笑))、実は、1991年です。ペレストロイカが始まってすでに数年経っていて、ソ連が崩壊する直前でした。

質問に出ていた「人民の敵」などは、実は何の罪もない被害者だったことが、すでに公になっていました。しかし、ソ連は変わった。何の罪もない人が突然逮捕され、射殺されたり強制収容所に送られたりするようなことはもう二度とないと、私はそう確信していました。しかし、入学願書を見て、実は何も変わっていないんだと思いました。国が大学入学希望者のことをそこまで調べ上げようとしているということは、粛清も逮捕もこれからも続く、願書の質問をそういう意味にしか受け取れなくて私は大きなショックを受けたのです。

そこでやはり黙っていられないタチアナ。受付に行って「これ、何ですか?」と記入用紙を見せました。ところが、答えは、拍子抜けする、いかにもロシアらしいものでした。

「用紙が古いからね。この欄、別に記入しなくていいよ」とのことでした。

複雑な気分でした。「ソ連は変わった。KGBにおびえて暮らす必要はない」と、再確認できてほっとしたのは言うまでもない。しかし、こわい気持ちもまだ残ったままでした。なんだか突然タイムスリップをして一昔前のソ連の雰囲気を味わってしまったような感じでした。今まで皆さんは一体どういう気持ちでこのような質問に答えてきたのだろう。

こうして、国の転換期に生きる人は、一瞬にして二つの時代を味わってしまうことがあります。私は子供時代をソ連で過ごしましたが、それなりに幸せだったと思います。しかし、大人の生きるソ連だけは絶対に経験したくないと、そのとき強く思ったことを今でもよく覚えています。みなさん、そのときの私の気持ちを想像できますか?
過ぎ去ろうとしているこわい時代を少しだけ経験したタチアナでした。

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*本記事はブログ「ロシア駐在日記」の2013年10月13日付記事を、許可を得て転載したものです。   

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