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3・19中南海クーデターの真相とは?周永康失墜の真相―中国

2013年12月13日

■3・19中南海クーデターの真相とは?周永康失墜の真相―中国■
 


20131212_写真_中国_周永康_
*香港紙・太陽報の報道。

元中国共産党政治局常務委員、周永康が拘束されたとのニュースが流れています。中国では権力闘争で敗れた大物官僚がちょくちょく汚職名目で逮捕されているわけですが、中国共産党の最高指導陣、政治局常務委員の経験者は安全圏と見なされてきました。もし周が失脚すれば、天安門事件の趙紫陽以来となります。周は薄熙来と深いつながりがあるだけに、「天安門以来最大の政治事件」と呼ばれてきた薄熙来事件は周の失脚によって本当の幕引きを迎えることになるでしょう。

さて、その周の容疑ですが、記事「反日デモは習近平打倒の政治運動か?過熱する周永康失脚報道を読む(水彩画)」で詳述したとおり、台湾や香港のメディアは、習近平打倒のために反日デモを展開した、暗殺しようとした、クーデターを画策したなどなど、とても信じられないような話を流しています。

そうした中、香港誌・亜州週刊が海外メディアの報道を検証した、かなり確度が高い記事を出しています。2012年3月のクーデター騒ぎについてもきわめて説得力のある情報を公開しているなど、現時点では一番信頼が置ける記事と言えるでしょう。ざっくりとご紹介したいと思います。


周永康失墜の内情、習近平の“虎狩り”は驚きの展開に
亜州週刊、2013年12月22日号

数々の情報源が認めているとおり、かつて200万人近い武装警官、警察、司法関係者を率い栄華を極めた前中国共産党政法委員会書記・周永康は今、急速に失墜している。かつて手に染めた犯罪行為は詳しく調査され、「刑は政治局常務委員に上らず」の慣例も打ち破られようとしている。周の後ろ盾と目されてきた江沢民、曾慶紅もすでに一線を引いているという。

周永康を取り調べる「二号専案」調査グループは今まさに周永康の取り調べを進めており、家族や側近もみな拘束された。一部海外メディアは先週末に真偽不明のさまざまな伝聞を流した。中には周が爆弾と毒注射で習近平を暗殺しようとしたとの報道もあった。しかし中国共産党高官はこの伝聞を否定している。ある高位の職にある情報筋によると、12月11日時点の情報として取り調べは事実だと認めたものの、政変や暗殺の噂は否定している。この消息筋によると、習近平はすでに周永康を司法で裁くことを決定したという。


■拘束公告文案はいまだ検討中

高官の状況に詳しい消息筋によると、12月10日時点で中国共産党はまだ司・庁級には周永康に関する通達を出していないという。「それどころか部級にもまだ通達されていない。公告をどうまとめるかはまだ検討中だ」という。ある北京の官僚によると、司級まで通達されれば、現在の中国においては全国に公表されたも同じだという(情報の流出は防げないとの意)。

「二号専案」と呼ばれるこの事件。現在は違法行為、紀律違反行為の黒幕である周永康の取り調べが進められている。習近平は総書記就任後すぐに「虎狩り」を決意した。そして今、まさに虎は檻へと追い込まれた。


妻殺害容疑は確認されず

別の消息筋によると、周永康は確かに薄熙来を持ち上げ、自らが院政をしく考えを持っていたという。しかしクーデター、毒注射による暗殺といった伝聞は誇張されすぎで事実とは異なると指摘した。また妻殺しの噂もあるが、これも当局は確認できていないという。息子の周寒が父と決裂し重慶市で本屋を営んでいるとの噂もあったが、これも不正確で、現在は石油系国有企業に身を置いている。

ただし周永康が盗聴をしかけていたことは確認された。ある重慶市の情報源によると、胡錦濤体制において周永康は他の上級指導者を盗聴していたという。ちなみに薄熙来の右腕、王立軍も上級指導者の盗聴を実施しており、その報告は周に伝えられていたが、王もまた周の盗聴の事実を知っていたという。

周永康と薄熙来の事件は中国共産党内部に激烈な政治抗争をもたらすものとなった。ある北京市の海外メディア関係者によると、2012年9月、すなわち習近平が総書記に就任する十八大(中国共産党第18期党大会)の2カ月前のこと、習近平が2週間にわたり姿を消した時期があった。休養、全面改革プランの起草と公表されていたが、実際には権力闘争の手段としての休暇であった。習が中国共産党の核心的権力を掌握することを保障せよ、さもなくば総書記には就任しないと江沢民、胡錦濤に迫るためのものだったのだ。江沢民、曾慶紅は周の支持者だったが、最終的には一線を引くことを決意した。今年7月、江沢民は訪中したキッシンジャー元国務長官と会見、習近平を絶賛している。


周永康の家族、側近を拘束

李春城、蒋潔敏など多くの配下、側近はすでに双規(党紀律部局による拘束、取り調べ)された。家族も取り調べを受けているが、唯一、次男の周寒だけは拘束されていないという。周寒は中国石油に身を置き、父との関係も少なかった。長男の周濱とその妻は帰国、拘束され取り調べを受けている。博訊網によると、周永康の兄弟姉妹も取り調べを受けている。当局が兄弟姉妹のオフィスを捜索したところ、数億元もの現金、預金通帳を発見したという。彼らは周永康による売官や収賄の仲介人となっていた。

2012年3月15日、薄熙来の双規が発表された。その4日後の19日、北京には「中南海クーデター」の噂が流れた。多くの著名ネットユーザーが北京と中南海の異常を伝え、大量の軍用車両であふれかえり、警備が強化されたことを伝えている。当時流行した筋書きとは、周永康が武装警官を動員し中南海を包囲、クーデターを画策したが、胡錦濤が掌握した三十八軍の前に企みは敗れたというものだった。

消息筋によると、19日には確かに衝突があったが、それはクーデターではなく、薄熙来の“お財布”、大連実徳グループの徐明会長の身柄を奪うものだったという。薄熙来の双規後、周永康は配下の警察に徐明の身柄を確保するよう命じた。中央紀律委員会がその身柄を引き渡すよう要求したが、周の意を受けた警察は拒否。すると紀律委員会側は周の長男、周濱の汚職の資料を武器に身柄の引き渡しを迫った。周は武装警察に命じて徐明の身柄を移そうとしたが、紀律委員会側も兵力を集め、徐の身柄を奪うチャンスを狙った。この一触即発の事態に驚いた中国共産党指導部は不測の事態を避けるため、中央弁公庁に命じて中央警衛局を動員させ、中南海の警備を固めた。かくして武装警察と警察、中央紀律委員会、中央警衛局は緊迫の一夜を過ごし、さまざまな噂が流れることとなった。

消息筋によると、19日の事件後、周永康は全国200万人の武装警察の指揮権を剥奪された。また習近平は政法委員会の権力削減を決定。十八大後には政法委員会書記は政治局常務委員のポストから格下げされた。また三中全会で発足が決まった国家安全委員会の管轄下に入ることが決まり、習近平は警察権力を掌握することとなった。


谷開来が供述、周永康との関係

薄熙来、王立軍、谷開来が主役となった重慶政治ショー。なかでも薄熙来の後半はそのクライマックスとなった。裁判最終日、薄熙来は自ら谷と王の“関係”を口にし、全国の観衆を驚愕させた。

その谷だが、王立軍とだけではなく、周永康とも“関係”していたのだろうか?北京の消息筋によると、調査グループ内部の重慶市関係者が次のように話しているという。薄熙来、王立軍の事件に関する調査はほぼ終わった今年初頭、谷は周永康との関係があったことを認めたという。「谷は軽微な精神障害でしたが、周永康との関係についての発言は事実です」と話している。また匿名希望の消息筋は「谷が本当にそう言ったのかどうかははっきりしない。窮地を抜け出るために周永康を巻き込もうとしたのではないか」と話している。ただし谷と周の“関係”については、谷の発言以外では確認が取れていない。

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