• お問い合わせ
  • RSSを購読
  • TwitterでFollow

軍事政権か、それとも民主主義の危機か=総選挙目前のバングラデシュと与野党の攻防(田中)

2014年01月04日

■軍事政権か、それとも民主主義の危機か=総選挙目前のバングラデシュと与野党の攻防(田中)■

DHK.Assembly
DHK.Assembly / naquib


2014年1月5日に予定されている第十回バングラデシュ総選挙を前に、与野党の駆け引きがクライマックスを迎えつつある。焦点となっているのは選挙管理内閣を認めるか否か。与党が拒否し続ければ、野党陣営が選挙をボイコットしかねない事態にまで発展している。


■バングラデシュの今

12月29日、最大野党バングラデシュ民族主義党(BNP)を筆頭とする野党連合はダッカ集結を宣言した。それに対し政府は道路封鎖を指令。政府主導により、バス、鉄道、水上交通が止められる事態となった。また警察は治安維持を名目にBNPの集会を妨害、党首カレダ・ジアは実質的に自宅軟禁状態にある。

もっとも政府による交通封鎖が実施される前からバングラデシュの交通インフラは麻痺していた。12月にはほとんどの平日はBNP主導の道路封鎖が実施されていたし、国鉄のレールがいたるところで外され、トラックが多数焼き討ちにあっていた。通常2万円程度のダッカ―チッタゴン間のトラック運賃が10万円(12月末時点)で取引されるまで高騰したほどだ。


■選挙管理内閣による戒厳令

今回、選挙管理内閣を導入するかが与野党対立の焦点となっている。

選挙管理内閣(Care taker government)とは1991年の選挙から始まり、1996年の選挙からほぼ固まった制度だった。選挙に不正、汚職があるのが当たり前のバングラデシュでは、少しでも信頼のおける選挙を行うため、政党政治家によらない内閣を暫定的につくり、中立の立場から選挙を管理する必要があった。

1996年の選挙は現在とは逆に与党BNPと野党アワミリーグの戦いだった。選挙管理内閣の制度導入をめぐって一度目の選挙を野党がボイコット。野党不在のまま一度目の選挙を与党が勝利するも、4ヵ月後に選挙管理内閣が指示した再選挙が実施され、アワミリーグが勝利している。

以来20年弱にわたり続いてきた選挙管理内閣だが、与党アワミリーグは今回、導入しない方針を示している。それは前回総選挙、2006年の苦い記憶が背景となっている。2006年に総選挙が実施されるはずだったが、選挙管理内閣がバングラデシュ陸軍の政治力を背景に戒厳令をしき、選挙を中止。選挙人名簿の刷新と汚職摘発を名目として、事実上の軍事政権である選挙管理内閣が2年間も政権を握る事態となった。


■憲法改正の余波、4年間にわたり野党が国会をボイコット

一連の汚職摘発では、アワミリーグ党首にして現首相のシェイク・ハシナ、BNP党首にして前首相のカレダ・ジアも嫌疑をかけられ、逮捕、勾留されるという事件もあった。

当たり前の話ながら汚職を「できる」権力を持つのは主に与党である。ゆえに2001年の総選挙で勝利したBNPが、選挙管理内閣の主な標的となった。これが支持急減の要因となり、2008年に実施された総選挙では、アワミリーグが連立与党で3分の2以上の議席を占める地滑り的な大勝利をおさめた。

恩恵を受けた格好となったアワミリーグだが、軍事政権が再来しないよう、2008年の政権奪取後すぐに憲法を改正、選挙管理内閣制度を廃止した。だが憲法改正に反対する野党陣営は国会ボイコットという手段で応戦。現在にいたるまでの4年間、国会は長期にわたり野党不在のまま運営されてきた。

また、もう一つの焦点として以前にもとりあげた戦争犯罪人裁判がある。40年前の独立戦争当時の罪を裁くこの裁判により、イスラム系の野党ジャマティ・イスラムの選挙参加資格が剥奪された。これも次の選挙に大きな影響を与えている。


■選挙成立に向けて:アワミリーグの主張

直近の地方市長選挙でアワミリーグはBNPに連敗している。選挙制度の改革にあたっても可能なかぎり有利な形にしたいと考えるのも理解できる。

もっとも与党有利のお手盛り改革とはいえ、アワミリーグが民主主義のルールに則ってことを運んでいることも事実だ。憲法改正にせよ、2/3以上の議席を確保している政党が正当な手続きを踏んで改正した。ジャマティ・イスラムの選挙資格剥奪もルール運用上の不正はない。

加えて選挙を成立させようと、アワミリーグは野党に妥協案も提示している。総選挙まですべての政党から平等に人材を招聘して内閣を結成(All-Party Cabinet)すると提唱し、カレダ・ジアには警察の管理権を持つ内務省(Home ministry)のポストも与えるとも提案した。

つまり、アワミリーグはあくまで民主主義の手続きに則ってきたと主張しているし、その点に偽りはない。


■妥協できない野党の事情

では野党陣営の動きはどうか。

上述したとおり、12月にはホルタル(ゼネスト)、道路封鎖、大集結と暴力行為を含む大々的な抗議活動が展開された。もっともそのこと自体にはたいして驚きはない。これらはガンディー時代からえんえんと繰り返されている、反政府活動のお決まりごとでしかないからだ。ゆえに表面的には暴力的な抗議活動が展開されているとはいえ、12月中旬の立候補登録締切までにはなんらかの与野党間の妥協が成立すると予想されていた。

想定外の流れとなったのは、BNPの主導する反政府活動が民衆の支持を得られなかったためだ。支持がなければ、抗議活動はただのテロ活動になりさがってしまう。さらに、アワミリーグの主導した戦争犯罪人裁判と処刑はバングラデシュ国民の愛国心に火を付けた。アワミリーグ支持に転換しやすい愛国運動が盛んな今、野党陣営への支持は薄い。愛国運動を追い風に与党陣営は強気な態度を崩しておらず、野党陣営は妥協しにくいというのが現状のようだ。

また、ジャマティ・イスラムをめぐる問題も妥協の成立を妨げている。選挙地盤的には地力に劣るBNPだけに、イスラム原理主義政党で選挙に強いジャマティ・イスラムの助けが欲しい。そのジャマティ・イスラムの選挙資格剥奪も争点だが、剥奪処分撤回やあるいは他の野党との協力体制構築による迂回出馬という解決策が進んでいないのではないか。


■静けさを保つ陸軍

与野党に続く第三の変数として軍の動きがある。バングラデシュ政治史において常に重要な役割を果たしてきた陸軍だが、今回は不思議なほど動きが見られない。実質的な軍事政権となった2006年選挙管理内閣のように、平和裏に割り込む余地がなくなってしまった。とはいえクーデターを起こすほどの危機的状況でもない。

また軍が超法規的行動を起こせない理由として、「お小遣い稼ぎ」への支障も考えられる。というのもバングラデシュは世界トップ3に入る国連平和維持活動(PKO)派遣大国。たんなる国際貢献ではなく、PKO派遣は下士官にとって大事な収入源になっているという事情もある。

クーデターを起こせばバングラデシュは紛争国として扱われてしまい、PKOへの参加権を失う。このことも軍に介入を躊躇させる要因となっていそうだ。


■国際社会の反応

混迷を極めるバングラデシュ情勢。国際社会の目も厳しい。

これまで選挙監視団を派遣してきたEUは不参加を表明。アメリカも上院が非難決議を採択した。中東諸国は戦争犯罪人裁判でイスラム主義者が処刑されたことを快く思っていない。

一方、隣国インドはアワミリーグとの関係が強いため静観している。原子力発電所建設の技術提供を決めたばかりのロシア、潜水艦売却を決めたばかりの中国も同様だ。


■今後の見通し

野党ボイコットが続くなか1月5日の選挙が決行されれば、ライバル不在のなかアワミリーグが勝利すると予想されている。ただ、大どんでん返しの可能性は否定できない。イギリス大使、アメリカ大使が年末にカレダ・ジアの自宅を訪問し、政治的膠着を打開しようと動きを見せている。このまま選挙が実施されたとしても野党陣営が茶番の選挙だと反発、反政府活動を活発化させるのはほぼ確実である。

先の見えない与野党の対立だが、最終的には民衆がどちらを支持するかで決まる。ただしそれなりに豊かになりつつあるこの国で、政治の影響力が相対的に減ってきているのは事実だ。強い政治的関心が生まれづらい状況になりつつある。

大衆の怒りが爆発するような事件でも起こらない限り、政権をひっくり返す事は難しいだろう。ただし、現時点では大きなうねりはないとはいえ、野党がボイコットすることなくすべての政党が参加できる状況で選挙をやって欲しいという点で人々の願いは一致している。

もっとも政治の安定を願う人々の思いが成就する見込みはうすい。2014年のバングラデシュ政治は、引き続き不安定なまま推移するであろう。

関連記事:
暗殺された「建国の父」の意志継ぐ大政治家、ハシナ首相とバングラデシュ愛国主義(田中)
バングラデシュ情勢を揺るがす「戦争犯罪」という名の亡霊=死刑判決をめぐり衝突、200人超が死亡(田中)
ガンジーの非暴力運動が超暴力的政治活動に発展、バングラデシュ名物「ホルタル」(田中)
日本企業の凋落、インド企業の台頭、そして国産企業の胎動=バングラデシュ二輪車市場(田中)
(田中)
オッサン「寂しくないか?一緒に寝てやろうか?」、日本人がビックリするバングラデシュ人の距離感(田中)
大政治家になった薄幸の美女、3度目の首相就任が有力となったカレダ・ジアの人生(田中)
恐怖の選挙日、投票に行かないとやってくる「背広のおじさん」―ロシア(タチアナ)

■執筆者プロフィール:田中秀喜
1975年生まれ。メーカー勤務、青年海外協力隊、JICA専門家を経てバングラデシュでコンサル業を起業。チャイナプラスワンとして注目されながらも情報の少なさから敬遠されがちなバングラデシュの情報源となるべく奮闘中。

forrow me on twitter

トップページへ

コメント欄を開く

ページのトップへ