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2014年02月01日
*写真は2008年夏、ジョカン寺。武装警察や私服警官が警戒にあたっている。
チベット人作家ツェリン・ウーセル氏は2014年1月23日、ブログエントリー「中国共産党が考案したチベット仏教の僧院モデル」を発表した。中国当局の僧院弾圧の実例を紹介し、「チベットを席巻するもう一つの文化大革命だ」とコメントしている。
■中国共産党が考案したチベット仏教の僧院モデル
ブログ・看不見的西蔵、2014年1月23日(初出:RFA、2014年1月22日)
訳:雲南太郎
重視しなければならない事実が少し前に次々と明らかになった。
(1)チベット自治区チャムド地区チャムド県のカルマ僧院は、2011年10月末に起きた小さな爆発事件に関わったため、元々300人いた僧侶が今ではわずか6人しかいなくなった。
(2)チベット自治区ナクチュ地区ディル県のドンナ僧院では昨年11月以降、多くの僧侶が逮捕された。全ての僧坊が封印され、僧院全体が閉鎖された。ディル県ではその後、タルム僧院とラプテン僧院も閉鎖された。
(3)甘粛省ケンロ(甘南)チベット族自治州サンチュ(夏河)県の有名な大僧院、ラプラン・タシキル僧院では2013年12月13日、寺院管理委員会が指示文書を出し、ほかの土地から修行に来ている僧侶を3カ月以内に追い出すよう求めた。
私は2008年末、「チベットでの『愛国主義教育』」「静かにチベットの僧院を席巻するもう一つの文革」「『法制教育』の背後」「僧院を観光スポットに変える目的」「ラサで起きた知られざる『粛清』」などのコラムを発表したが、新たに明らかになった事実はチベット全体のあらゆる僧院に向けた包囲討伐が一歩ずつ、全面的に進められていることを証明している。
まさに私が2008年末に書いたとおりだ。
「中国共産党当局は今、チベットの僧院に文革以降で最も過酷な粛清を繰り広げている。しかし中国のメディアでは、影で進められるこうした政策の報道を全く見かけない。これはチベットを席巻するもう一つの文化大革命だ。1966年の文革は僧院と仏像を破壊し、僧尼を追放し、見るも痛ましい廃墟を残した。今回よみがえった文革は本物の僧尼を追放し、ただ僧院の抜け殻と、勇気と良心を失わざるを得なかった僧侶だけを残すだろう」
■追放されたラサの僧侶
もし私たちがまだ忘れ去っていないのなら覚えておくべきだ。2008年4月10日深夜からデプン、セラ、ガンデンのラサ3大僧院が軍警の急襲に遭い、1000人以上の僧侶が僧坊から連れ去られたことを。彼らのほとんどは甘粛、青海、四川、雲南の各省のチベット・エリア(当局は「4省蔵区」と呼ぶ)から来た修行僧だった。彼らは後にゴルムドの軍監獄に移され、北京五輪が終わってからようやく各自の故郷へ送り返された。それ以降、3大僧院に戻ることは禁じられた。
元々、3大僧院で学ぶ僧侶の半数以上は地元のラサ人ではない。これは3大僧院の設立以来500年以上続く伝統であり、仏教で2000年以上続く伝統でもある。中国仏教の寺院も含め、全ての僧団組織は至る所から来た出家者で成り立っている。今でも漢人エリアの僧院では、各地の僧侶が籍を置いて修行している。しかし、ラサの3大僧院にいる地方出身の修行僧は力づくで拘束され、追放される。これはチベット仏教の歴史でもまれに見る出来事だ。現代に入り、共産党がチベット全土を支配するようになって初めて頻繁に起きるようになった。
もし私たちがまだ忘れ去っていないのなら覚えておくべきだ。2008年、カンゼ州の州長が州内18県に出したチベット語の正式な文書が中国当局のウェブサイト上にあったことを。その文書には、(2008年の)抗議活動に僧尼の10~30%が参加した僧院に対し、次のような措置を取るだろうと書いてあった。まず、僧院内の宗教活動が止められ、僧侶の行動は厳しく制限される。そして、僧院にいる僧尼も「再登録」が必要になり、「愛国主義教育」の試験に合格していない者は除名され、僧坊は取り壊される。抗議に参加した僧尼については、罪の軽い者は故郷に送り返し、「再教育」を進める。罪の重い者は拘束される。
■僧院への駐屯と包囲
チベット自治区の1700以上の僧院では2011年以降、駐寺工作組計約7000人が駐在するようになった。官製メディアによれば、当局が登録した僧尼の在籍数は4万6000人超だという。では、駐寺工作組の職員は1人あたり6、7人の僧侶を管理するのだろうか?問題なのは、カルマ・カギュ派の祖寺であり、チベット仏教のトゥルク転生制度の発祥地であるカルマ僧院では、今残っている僧侶が工作組職員よりも少ないということだ。チベット自治区党委書記の陳全国が始めた「駐寺」「駐村」運動は現在、第3陣が後を継いでいる。まさかその目的は僧侶を減らし続け、最終的に僧院を閉鎖することなのだろうか?
「4省蔵区」の当局は同様に、計15万人以上の僧尼のいる僧院に包囲討伐を進めている。これらのチベット・エリアの当局はチベット自治区当局の経験を模倣したわけではない。これは最高レベルの当局の対チベット強硬政策に基づかなければできない。実際には、毛沢東の制定した「チベット政策」を引き続き実行したものだ。
毛は「宗教寺院も改革を進める必要がある。改革後、ある時期にラマは減るだろう。(中略)宗教寺院をどう改革するか、あなたたちが方策を考えるべきだ」と話した(1959年5月7日の「チベット反乱平定後の関連する基本政策」)。見たところ、いわゆる方策とは今日のカルマ僧院モデルやドンナ僧院モデル、ラサ3大僧院とアムドのラプラン・タシキル僧院モデルだ。これらは党が考案したチベット仏教の僧院モデルだ。
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*本記事はブログ「チベットNOW@ルンタ」の2014年2月1日付記事を許可を得て転載したものです。