■会社を乗っ取られないために、独立戦争時代のバングラデシュ人に要注意(田中)■
Bus station / mickou
私とアナタだったら、きっといいビジネスできると思いますよ。バングラデシュでビジネスやりましょう。バングラデシュでは外資100%で会社はできません。私と合弁で出資して、私が社長をやればなにも問題はありません。私に任せてください。
でもバングラデシュ人、みんな嘘つきです。私と私が紹介する人以外は誰も信用してはいけないです。会社の役所手続きは私がみんなやります。役所にアナタが一緒に行くと賄賂をとんでもなく高く取られます。会社の所在地登録は、アナタが住んでいる家にしてもいいけれど、その場所は住宅地になっていて会社所在地にできません。私の家だったら問題ありませんからそこにしましょう。
こんなやりとりがバングラデシュでビジネスをやるときに繰り返される典型的な光景である。このやりとりの中のいくつかは本当で、いくつかは嘘か、正確な情報ではない。ただ、相手の言うことを何でもそのとおりに信じてしまうと、大きなリスクを抱えてしまうことになる。
■ある日突然、会社が人のものになっていた選挙もとりあえずは終わり、再びバングラデシュに事業調査などで入る日本人が戻ってきている。バングラデシュは超親日国家で、日本人だといえば大歓迎で迎えてくれるが、いろいろと用心も必要である。
ある日突然、会社が人のものになっていた、などということがバングラデシュでは現実にあり得るのである。バングラデシュでビジネスパートナーを選ぶ際に、日本語ができるベンガル人が選ばれることが多い。しかし、日本に出稼ぎ経験のある35歳以上のバングラデシュ人とは良く考えてパートナーを組む必要がある。
その日本語ができるベンガル人が「トラブルのもと」になるのだ。
■パートナーへの依存にご用心日本に出稼ぎに来ていたバングラデシュ人に誘われてビジネスを始めようと思ったという事業者もそれなりに多い。その日本語ができるビジネスパートナーに気がついたら会社も資産も全て乗っ取られて泣く泣く帰っていったという話は枚挙にいとまがない。
普通の日本人は英語もベンガル語もできない。現地で仕事をやるには言葉の問題で壁に当たる。いきおい、会社をやるにあたっての法律の解釈も人事も経理もすべて彼らを介してやるしかなくなってしまう。しかし、彼らにすべてを依存する事はあまりにも危険である。
冒頭の話に戻ると、外資100%で会社の設立は可能。ただし、現地パートナーの出資があることで生じるメリットは当然ながら存在する。ベンガル人が嘘をよく付くのは本当だが、それを言っている本人も嘘つきである。意図的であるかどうか分からないが、彼らは出来る限り自分たち以外のベンガル人に日本人がアクセスすることを嫌う。カモを他に取られたくないぐらいは思っているかもしれない。それで冒頭のような発言になる。
役所の手続きでは日本人は積極的に顔を出したほうがいい。法に基づいた処理がとどこっていて、手続きに何もやましいことがないのなら彼らに特別な便宜をお願いすることさえも必要ないのだから。会社を登録すると、Trade License(通商許可証)という書類が会社にはかならず必要になる。
ところが、外国人が好んで居住するような住宅地では発行されない。そこで、ビジネスパートナーの所有地を会社所在地として登録、実際のオフィスは住宅地の中という具合に工作するのである。バングラデシュ政府による様々な規制がある。規制に対して抜け道を作る事をパートナーから持ちかけられることでさらに大きな依存関係が発生する。
■パートナーはすべて知っている税金に関しても同様である。バングラデシュの地元企業で当たり前に税金を払っている企業はほとんどない。通常は、税務官と税理士がつるんで会計担当に二重帳簿をつくらせ、売上をごまかして税金の支払い額を少なくさせる。
その見返りとして本来支払われるべき税金はほとんどが税務官のポケットへ、幾らかのキックバックが税理士へ行く仕組みになっている。現地人に任せっきりにしておくと彼らのいいようにありとあらゆる工作を始めてしまう。
このような不正工作が、いったん現地パートナーとトラブルになった際に問題になる。現地パートナーは自分たちがどんな不正をやっていたかを知り尽くしているから、それをブラックメールで各方面に流されてしまうと、違法行為を行ったとして会社が訴えられる。最悪の場合、事業撤退もあり得る。
出稼ぎに来ていたバングラデシュ人は、ほとんどが不法滞在をしていた。中には不法滞在20年などというツワモノもいて、彼らにモラルや遵法意識を求めるのは酷である。遵法意識が低いため、自分の利益になると思えば会計不正、会社乗っ取り工作など、どんな事もやれてしまう。
彼らの多くはもともと家が貧しいから出稼ぎに来ていた。バングラデシュ国内では下層階級出身である。さらに言えば、ビジネス人脈がモノを言うバングラデシュで下層階級は十分な国内人脈を持っていない。彼らの階級の低さが、バングラデシュ社会ではかえって足手まといになることもある。
■注意すべきは独立戦争世代のバングラデシュ人35歳より上の世代のバングラデシュ人、つまり生まれ年で言えばだいたい1980年以前の人々には要注意だ。
バングラデシュは1971年の独立戦争後本当に貧しく、飢えていた。米の収穫前の季節になると、食料の尽きた貧しい農民が徒党をなして盗賊行為を働く事なども稀ではなかった。子供の頃、兄弟5人でたった一本のバナナをわけあって食べた。それが一日の食料だったなどという話も聞く。
生きることに貪欲で、時には狡くなければその日の食料さえも手に入らない。ヘタをすると奪われる。そんな中はいあがってきた彼らは自分たちが生きて行くためにはどんな不法行為も出来てしまうのである。彼らは人間の汚い部分を知ってしまっているが故に、パートナーとしては不向きなことが多い。もちろん、全ての出稼ぎベンガル人がトラブルを起こしているわけでは当然ないのだが、彼らの生きてきた世界観を理解することで、リスクを回避できるようにはなる。
■飢えを知らない世代はまず安心?ところが、1980年以降に生まれた人材になると、かなり人が変わる。上の世代ほどガツガツしていないのである。大きな世代間のギャップの原因はおそらく飢えを知っているかどうかであろう。1980年代のバングラデシュは人口増加よりも食糧増産が上になり、戦争の混乱から立ち直ってきた時代だった。若い世代は上の世代の汚さを知っているものの、それを自分たちがやるには躊躇がある。
会社を運営するに当たってどうしても日本語人材がほしいのであれば、出稼ぎに来ていた人材と事業パートナーを組むのではなく、日本語学校や大学に留学をしていた若い世代を雇用することが望ましい。
また、日本人スタッフのコミュニケーション能力の向上も欠かせない。ビジネスをやるに当たっては英語が出来れば十分である。こちらでは英語の家庭教師をひと月一万円程度で雇うことができる。情報の収集能力をあげることで、現地人の口車に乗せられることなく仕事が進められるようになる。
バングラデシュでのビジネスは成功すれば将来的なリターンはかなり大きいといわれている。一方で、このような人材によるリスクも存在する。日本企業が上手にリスクを回避してくれることを願ってやまない。
関連記事:
試験地獄が生み出す公平な社会、バングラデシュの超学歴社会と少子化(田中)バングラデシュ名物リキシャに驚きのイノベーション!社会の変化を象徴(田中)「短パンでもいい、耳の穴だけは守れ!」バングラデシュの不思議な防寒対策(田中)軍事政権か、それとも民主主義の危機か=総選挙目前のバングラデシュと与野党の攻防(田中)暗殺された「建国の父」の意志継ぐ大政治家、ハシナ首相とバングラデシュ愛国主義(田中)バングラデシュ情勢を揺るがす「戦争犯罪」という名の亡霊=死刑判決をめぐり衝突、200人超が死亡(田中)ガンジーの非暴力運動が超暴力的政治活動に発展、バングラデシュ名物「ホルタル」(田中)日本企業の凋落、インド企業の台頭、そして国産企業の胎動=バングラデシュ二輪車市場(田中)(田中)オッサン「寂しくないか?一緒に寝てやろうか?」、日本人がビックリするバングラデシュ人の距離感(田中)
大政治家になった薄幸の美女、3度目の首相就任が有力となったカレダ・ジアの人生(田中)■執筆者プロフィール:田中秀喜
1975年生まれ。メーカー勤務、青年海外協力隊、JICA専門家を経てバングラデシュでコンサル業を起業。チャイナプラスワンとして注目されながらも情報の少なさから敬遠されがちなバングラデシュの情報源となるべく奮闘中。