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「なんで『真田幸村は日本戦国時代の趙雲』とか言われているの?」中国人オタクの議論(百元)

2014年03月29日

■中国オタク「なんで『真田幸村は日本戦国時代の趙雲』とか言われているの?」■

無双OROCHI 2 (通常版)

ありがたいことに「中国では真田幸村を『戦国時代の趙雲』と呼ぶと聞いたことがあるのですが、実際はどうなんでしょうか?」という質問をいただいておりますので今回はそれについてを。

「真田幸村は日本の戦国時代の趙雲的なキャラ」といった話に関しては、私も見たり聞いたりしたことがあります。以前知り合いから聞いた話によれば、このイメージに関してはどうやらコーエーの無双シリーズの影響が大きいらしく、いわゆる「イケメン、主人公枠」的なイメージや「忠義の士」的なイメージから来ているのだとか。

ただ当然ながらこれが中国オタク界隈における定説となっているわけではありませんし、史実や創作上の扱いに詳しい人からはツッコミの声やら否定の声やらも少なくないようです。

そんな訳で以下に中国のネットで見かけた「真田幸村と趙雲のキャラ」などに関するやり取りを例によって私のイイカゲンな訳で紹介させていただきます。


■中国人オタクの議論

なんで「真田幸村は日本戦国時代の趙雲」とか言われているんだ?
時々こういった話を見かけるが、私には両者の共通点が分からないんだが……


同意。趙雲と真田に同じ所なんてあるのか?

コスプレだとわりと扱いが重なる気がするけど。どこから来たんだろね、この話。

イケメンで主人公的な存在だからじゃないか?

コスプレ関係見ればわかるけど、無双シリーズからでしょ。
コーエーはこの二人を若くてカッコイイキャラにしたし「無双OROCHI」ではキャラ同士のやり取り有るし。


キャラデザは若いけど、実際はどっちも若い時には活躍してないはずなんだよなぁ……

史実関係を見ると幸村は趙雲とかなり違う。あえて似たようなのを挙げるとすれば姜維かな?

言っちゃなんだが私は趙雲と真田幸村を同じレベルで語るのは認められない。趙雲は長い間活躍していたが、真田幸村は最後だけの一発屋じゃないか……

これに関しては「無双OROCHI」で幸村と趙雲の仲が良いから余計にイメージが固まっていったんじゃないだろうか。

真田幸村に関して広まっているイメージが趙雲っぽいって感じなんじゃないかな?これに関しては史実はあんまり関係ないと思う。例えば戦国時代の「今孔明」の竹中半兵衛は実は諸葛亮じゃなくて、郭嘉っぽかったりするし。

コレと似たようなのでは真田幸村とウチの国の趙雲、どっちが強い?みたいな話題も出たりするよな。

趙雲と真田幸村じゃ趙雲が秒殺で勝つだろ。話にならん。

いやいや、その比較の前提がまず問題だ。

いったいどの作品の「趙雲」と、どの作品の「真田幸村」の話にするんだ?


武将タイプの違いもあるぞ。真田幸村は謀略系、趙雲は武力系の武将でしょ。

真田幸村は謀略の実績ないぞ。あれも武力系だろ。

三国時代と日本の戦国時代じゃ戦争の形式が違うし、そもそも一対一でというのがありえないような……
ちなみに無双シリーズだと趙雲の方が強キャラだと私は思う。

信長の野望だと戦闘力はトップクラスの武将だな。政治は低いけど知略も高い。政治だけが低い強力な武将という感じだ。謀略系というより、優秀な戦術家、戦闘系武将といった所じゃないかね。

まぁ私も個人の武勇に関しては1対1で戦ったら趙雲が勝ちそうな気はするが、実際に比較しだすと問題だらけだな。

イメージ的には両方とも文武両道だけど、真田幸村の知略評価ってどの辺が根拠なの?私は大坂の陣の戦いくらいしか知らないんで分からん。

真田幸村は大坂の陣においては防御築城で功績があるし、戦場で徳川家康をかなりの所まで追いつめたりした部分が評価されているが、真田幸村の活躍は実質的に大坂の陣だけだよ。他には無い。
知略に関しては後世の創作の影響が大きい。三国演義の補正のようなものなんじゃないかと。

詳しい人がいるみたいだから聞きたいんだけど、もしかして真田幸村ってそんなにスゴイ武将じゃなかったりする?雑魚ではないし、優秀でないってわけでもないのだろうけど……
最近ちょっと疑問が大きくなっているんだが、真田幸村はなんであんなに美化されてんの? 

そうそう。コーエーはなんであそこまで真田幸村を美化して優秀にするのか。私もよく分からん。

徳川家康が「日ノ本一の兵」と高く評価したからじゃないの?

真田幸村が美化されて若き主人公状態なことに関しては、わりと本気でコーエーの無双シリーズの影響じゃないかと思う。
確か現在の真田幸村の人気は明治時代以降の創作の影響が大きく、しかも当時は真田幸村よりも配下の猿飛佐助や霧隠才蔵といった真田十勇士の方が人気が高く有名で、真田幸村は真田十勇士のボス的な扱いだったという話だし。


人気に関しては源義経、楠正成と並ぶ日本史三大悲劇の英雄の一人だからってのも大きいだろう。

信長の野望ファンの俺からすれば、真田幸村は登場が遅くて使えないという印象だな。

簡単に言えば、真田幸村は真田信繁という武将をモデルにした日本で極めて人気の高い創作上の人物だからって所じゃないかな。
創作上の真田幸村像って、真田家の優秀な武将の集合体みたいなもんなんだよ。例えば無双やBASARAなどにおける真田幸村と武田信玄の関係は真田昌幸(或いは他の真田家の武将)から持ってきていると思われる。


真田昌幸の影響は確かに大きいだろうね。
戦国時代で一番スゴイ真田家の武将は間違いなく真田幸村の父親の真田昌幸だろう。徳川は真田昌幸相手に長い間苦戦しているし、実際徳川から恐れられていた。大坂の陣でも徳川家康は大阪城に入ったのが父の真田昌幸ではなく子の真田信繁だったということに安堵したくらいだし。知略系のイメージはだいたいそこからじゃないかな。

その辺についてはコーエーだけが原因じゃないと思う。
ウチの国で趙雲が美化されるのと似たような感じで、日本でも一般的な人気の高さが影響しているんだろう。

ウチの国でも趙雲に関して「趙雲別伝ってあまり信用できないから無しで」とかにしてモブ扱いしたらみんなキレるだろうしな……そもそも三国演義で趙雲が活躍しないとか誰も得しない。

趙雲と真田幸村、共通しているのはどっちも創作によりスゴイというイメージが一般庶民の間に広まって人気になっていることじゃないかな。

そうそう。元となったものが創作やら妄想やらだし、あんまりマジになって考える必要はないよ。私達のイメージする趙雲にはかなりの誇張が混じっているし、真田幸村にも結構な水増しがあるってことだ。コーエーのゲームでの扱いもそんな感じだよ。

創作と民間の人気の影響による現在の評価や一般的なイメージなど、イロイロと調べてみると真田幸村を「戦国時代の趙雲」と呼ぶのは案外ウマイ例えのようにも思ってしまうね。コレを最初に言った人がどこまで考えていたのかは分からないけど。
しかし大坂の陣の活躍では毛利勝永の方がスゴイと思うんだが、誰も毛利勝永については語らないんだよな……BLもいけるネタまで持っているというのに。

とまぁ、こんな感じで。


■真田十勇士が中国人オタクに伝わっていない件について

それぞれの思い浮かべるイメージや、元となった媒体の違いから結構混乱しているようですね。

中国オタクの間における日本の戦国時代の知識は一昔前は「信長の野望」、最近では「戦国無双」や「戦国BASARA」、それ以外では山岡荘八の「徳川家康」といった辺りからというのが定番ですが、中には戦国時代の資料を自分から調べている人もいるそうですし、真田幸村という存在に関してイロイロと語ったりもできる模様です。

ちなみに今回イロイロな反応を見ていて感じたのですが、中国オタクの間では日本で一昔前は忍者モノに頻繁に出て来た真田十勇士関係の真田幸村のイメージについてはほとんど意識されていないようでした。この辺に関しては、真田十勇士関係のコンテンツが人気になった時期が現在の中国オタクの面々の活動している時期と重なっていないのが影響しているのではないかと思われます。

とりあえず、こんな所で。例によってツッコミ&情報提供お待ちしております。

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*本記事はブログ「「日中文化交流」と書いてオタ活動と読む」の2014年3月8日付記事を、許可を得て転載したものです。

 コメント一覧 (2)

    • 1. yoshibon
    • 2014年03月29日 23:44
    • 4 これってテニスと卓球が似てるとかどっちが強い?って言ってるようなもんだな。
    • 2. 田舎侍
    • 2014年04月03日 09:18
    •  まず双方を比べる方が無理があるような気がする。
       信繁は創作物により過大評価されている面があるのは事実。
       実際、半ばながら調べた所、初陣の時期が何時なのかハッキリしていない。只、少なくとも二回に於ける上田合戦には参加しているのでそれ以前に実戦経験をしている様。
       『一発屋』は的を得ている気がする。しかしながら人質や蟄居生活が多かったこと、豊臣の治世において概ね平穏であった事が実戦経験の少なさにつながったのではないか。
       戦術家であって戦略家にあらず。
       大阪の陣が全てを現している。
       判官びいきの日本人の琴線にふれる人物である。
       趙雲と信繁の一騎打ち?
       断然、趙雲が強いのではないか?
       もっとも、双方一騎打ちに至らぬような戦をするのではないかな。

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