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「中国イヤな話」のパッチワーク、映画「罪の手ざわり」を喜ぶのは誰か?(高口)

2014年07月13日

中国を代表する映画監督の一人、 賈樟柯監督の最新作「罪の手ざわり」を見た。

現代中国社会の鬱屈を描いた傑作という映画評が多いようだが、実際には「中国イヤな話」系ニュースをつなぎあわせたパッチワーク。日本のウェブニュースやいわゆる「反中本」とほぼ元ネタは同じだったりする。正直残念な一作だったのだが、「この映画をほめているのは誰か?」という問題に目を向けると興味深い構造が浮かび上がる。


■実際の事件を題材に

本作は4つのエピソードによって構成されているのだが、いずれも実際に起きた事件を題材としている。

(1)「村長をたらしこんで安値で炭鉱を手に入れた成金村民にむかつく男―山西省」
→2001年、胡文海事件
(2)「銀行で大金をおろした金持ちを専門に強盗する男―重慶」
→2012年、周克華事件
(3)「エロ中年に迫られて刃物を抜いてしまった女―湖北省」
→2009年、鄧玉嬌事件。
(4)「飛び降り自殺した出稼ぎ農民の青年―広東省」
→2010年、フォックスコン連続飛び降り自殺。

といった具合。2001年とやや古い胡文海事件以外は日本語でも報じられた事件ばかりだ。それ以外にも大量の小ネタがちりばめられている。あの「京劇ビキニ」までネタになっているとはと映画館で一人バカ受けしてしまった(参考記事:レコードチャイナ)。もっとも元ネタはミスコンの一場面なのだが、劇中ではイメクラ風ナイトクラブの一場面として出てくる。

20140710
予告編より。


■キモを外した改変

まあ京劇ビキニはどう改変しようがご自由にとしか言うしかない。ただ他のエピソードも「元ネタはすぐにわかるけど、なんかキモを外しているよね」的な改変が加えられている。

例えば「エロ中年に迫られて刃物を抜いてしまった女―湖北省」。元ネタの鄧玉嬌事件では強姦されそうになった鄧さんが果物ナイフで官僚を刺し殺してしまったという一件だったが、情状酌量されるどころか故意の殺人だと検察が主張。世論を巻き込む社会的事件になったことが“キモ”だった。

「飛び降り自殺した出稼ぎ農民の青年―広東省」はフォックスコン連続飛び降り自殺を題材としている。10万人超の従業員が住み込みで働く、街のような巨大な規模の工場で10カ月もの間に十数人もの若者が飛び降り自殺した。個々人の自殺した理由も連続自殺が起きた理由もいまだによくわかっていないが、輸出大国・中国のシンボルとも言える超巨大工場に何が起きているのかに人々の関心は注がれていた。

だが「罪の手ざわり」では色恋に敗れ、金も親の理解もない若者が自殺という道を選択したという明快な解答が与えられている。フォックスコンを率いる郭台銘氏は日本メディアのインタビューで「最近の出稼ぎ農民は打たれ弱いんですわ、がっはっは」的な回答を披露していたが、あたかもこの論理に全力で迎合しているかのようだ。

他にも「温州高速鉄道の映像が初めて銀幕に!」という売り文句もあったが、あまりストーリーとは関係なくぽつっと映し出されるだけだったりする。


■では、フィクション映画としての出来は?

もちろん「罪の手ざわり」はフィクションであり、現実に起きた事件を伝えることが目的ではない。たんに事件のモチーフだけ借りていい映画を作れていればそれで問題はないはずだ。だが劇映画としても成功しているのだろうか。中国の書評・映画評サイト「豆瓣」に「空っぽの人物造形」というコメントが寄せられていたが、まったくの同感。登場人物はショッキングな事件を描くための道具として用意されたようにしか見えない。

また「武侠」というギミックを使っているが、これも果たして効果的だったろうか。中国的「侠」とは清水の次郎長的なさすらいのヤクザ。登場人物たちが移動し放浪する人々であることを描きたかったとあるインタビューで監督はコメントしていたが、個人的にはまじめな展開の中に突然カンフーポーズがでてきて爆笑したぐらいの効果しかなかった。

追い詰められた人間が「武侠」に変身して大暴れするという話ならよくわかるのだが、そこまでコンセプトは統一されていない。冒頭のエピソードなど武侠的なカッケーたたずまいをしていた人物がその後みっともなく袋だたきにされてしまい、あのカッケーポーズはなんだったのかと頭の中がハテナマークでいっぱいになった。


■中国イヤな話を喜ぶ人々

というわけで個人的にはイマイチな映画だったのだが、中国では映画館で公開されてすらいないのになかなかの話題作である。中国の書評・映画評サイト「豆瓣」にはなんと1万8000件というとんでもない数のコメントが寄せられている。

賛否両論あるのだが、賛同派のコメントを流し読んでいくと「中国のあの事件をよく描いた」「温州高速鉄道事故の映像が始めて銀幕に写された」といった「中国と党の悪事を映画にしたのはグッジョブ」というコメントが多いのが目につく。

「中国田舎のイヤな話」が持ちネタである賈樟柯監督には、「欧米の映画祭審査員におもねりやがって」との批判がつきまとってきた。梶谷懐さんは2009年のブログエントリー「欧米人の眼、中国人の精神」に詳しいが、国際映画祭で高い評価を得られるためには、中国の後進性を示すような素材を選ぶなど「欧米人の眼」で中国社会を切り取らなければならないというわけだ。

だが、「欧米人の眼」が喜ぶ中国イヤな話は、同時に一部中国ネットユーザー、中国イヤな話をネタとして中国共産党を叩ければ大満足、具体的な話や社会問題としての取り組みなんてどうでもいいという人々にとっても大好物である。

あるいは、「中国イヤな話のパッチワーク映画をありがたがるのは誰か?」こそが「罪の手ざわり」の最も面白いポイントかも知れない。そこにいるのは「欧米人の眼」、中国の「ともかく政府を叩きたいよ派」、そして日本の……。

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