私の会社には時々インターンを迎え入れている。現役の学生がほとんどで、ホームステイをしたり、語学学校に通いながらバングラデシュのビジネスの現場を体験してもらっている。
村へのホームステイではバスのチケットとホームステイ先の電話番号のメモを渡して単身でいってもらう。行った先で「ベンガル人50人ぐらいに囲まれてます!どうしましょう!」などと悲鳴のような電話が来ることもある。「あー、それね、単に外国人が珍しくて集まっているだけやから気にしないで」というやりとりを経験しながら異文化に慣れてもらう。
famous special tea / oh sk
お茶屋をはじめたい
ある日のこと、インターンは突然お茶屋がやりたいと言ってきた。
現地語であるベンガル語を習得するのにお茶屋で話をしたらいいと聞いて、しばらくお茶屋に通っていたら、お茶屋そのものをやってみたくなったらしい。「へぇ、やってみる?なら手伝うけど」と私。その時、彼は目の前に立ちはだかる幾多の苦難を想像だにしていなかった(私はだいたい予想していたが)。
バングラデシュではチャドカンと呼ばれるお茶屋。その営業形態は大きく三つに分かれる。小屋を作る完全定住型、車輪付きの台車を据え置く屋台型。そしてチャの入った魔法瓶ほか商品をすべて手で持ち運ぶ完全移動型だ。今回は屋台型を試してみた。準備するものは以下の物。
チャのレシピ
台車
ヤカン
灯油ストーブ
コップ
チャのレシピは近所のチャドカンの中から味の良い店に張り込み、チャを作っているところを一日中観察して盗んだそう。
台車はリキシャを作っている店で同じように作れるそうで、2万円ほどあればできる。店のオヤジは前金を渡して二週間でできるぞと言っていたが結局できたのは1ヶ月半後。他、ヤカン、灯油ストーブ、コップなどを揃えていよいよ営業開始。
お茶屋そのものをインターンが営業することは困難なのでスタッフを雇った。元リキシャ夫のボビーと、ボビーが地元の村から連れてきたカラムである。
お茶屋で何を売るか?お茶屋で売っている物はだいたい以下のような物となる。
チャ(ミルクティー1杯5タカ、ジンジャーティー1杯4タカ。後に灯油代高騰により値上げ)
ミネラルウォーター(20Lで桶買いした水をバラ売りする。ガラスコップ一杯1タカ)
タバコ(1本からバラ売り。価格は銘柄によってばらばら。1本2タカ~10タカ)
バナナ(1本4~7タカ。品種によって違う)
パン、シンガラ、サモサ(2~5タカ)
アメ(1タカ)
(1タカは約1.54円)
商品によって、流通システムはそれぞれ違う。
バナナ、パンなど消費期限の限られている商品は特徴のある卸システムになる。それぞれ、業者は別々に存在。営業マンが巡回してきて商品を毎朝届けてくれる。バナナは買取りで仕入れ時にお金を払う。そのため売り切らないといけない。売れ残ったらそれは店側のロスとなる。例えばチャゴールコラという日本でも見かけるようなサイズのバナナは仕入れ4タカに対し売値7タカである。
パンは製造業者が夕方に回収に来て、売れた商品の分だけ夕方に金額を支払うしくみ。そのためロスが出るおそれはないがその代わりパン一個につき1タカ程度しか利益はない。
チャは売値5タカのうち、燃料代2タカ、茶葉、砂糖などの材料代1.5タカ。常にお茶を沸かした状態で準備して置かなければいけないので客の入りが悪いと燃料代がかさんで赤字となる。
初めての場所探し、初めての“ストリートファイト”当初チャドカンを始めた場所は住宅街の中の道ばただった。しかし、数日営業した後、マンションの管理者に苦情を言われ追い出された。マンションの前に人だかりができるとそれだけで不快なのだそう。こちらのローカルの人達はマナーが全体的に悪い。まわりにゴミを捨てたり立ち小便したりするので集まりがあると何かと環境が乱れるということらしい。
そこで住宅街の別の場所へ移動した。そこで一週間ほど営業していたが、今度は苦情どころかいきなり道の前の家のおっさんが殴りこんできた。いきなりすごい剣幕で罵ってきたかと思うと(インターンは何を言われたか理解出来ない)チャのストーブを蹴り倒す。茶店のスタッフの足に熱湯がかかる。
その後はスタッフを守るべくインターンが体を張る。近所の人に仲裁してもらってその場は何とか収まったがつかみ合いまでやってしまったインターンは精神的ショックで1日中寝込んだ。彼は柔道有段者だが育ちはいいのでストリートファイトなど初めてやったそう。これに懲りて、営業許可の取れる場所を探してしばらく営業を中止、スタッフと共に場所探しをすることにした。
初めての“みかじめ料”、払う相手は……スタッフのボビーが場所の候補を見つけてきた。見つけた場所はグルシャン2交差点のすぐ裏の路地。非常に交通量の多い売れ筋の道路である。バングラデシュでは道路上の営業は原則禁止なので、別段の根回しが必要となる。ここで営業をするには然るべき筋にお金を支払って、認可を取らなければいけない。
その然るべき筋とは政党の末端組織である。こちらの政党はヤクザとほとんど一緒で、シノギの仕切りも行う。グルシャン2界隈は政権与党と最大野党で二分してある。今回話しがついたのは最大野党側。一定の前金と月額料金を毎月納める事で契約する。
これとは別に警察にもみかじめ料を払わないといけない。警察にも毎月定額料金を支払う仕組みとなる。ただし、それで押さえが効くのは末端までで、年に1回程度の割合で屋台の取り壊し命令が当局から出されることがあり、その時には容赦なくぶっ壊される。そのための車輪付き屋台である。いざという時にはスタコラサッサと逃げ出さないといけない。それではなんのためのみかじめ料かと思われるかもしれない。だが、それを払わなければその日にぶっ壊されるのだ。この国の権力は貧乏人には容赦ないのだ。
数度の交渉の後、営業利益が見込めそうなことを判断していよいよ契約。もちろん文書など一切なし。
ツケ払いとの戦いいよいよ営業開始。これまでの場所に比べて倍以上の売り上げが上がる。毎日4000~5000タカの営業利益、1000タカほどの純利益が出せるようになってきた。さまざまな課題を乗り越えてここまできたのだが安心は禁物。次なる課題がすぐまた持ち上がった。ツケ払いである。
常連客の中にはその場その場でお金の支払いをしてくれないようになってくる。気がつけば1000タカ程払いをためる客がでてくるのである。インターンが店番としているときにはあまりツケは行わないようにしているのだが、いないときにこっそりツケをしてくる。茶店の商品の売り上げは前述のとおり1タカ2タカの利益しかない。それでも利益を上げるには現金の回転率が全てなのでツケが貯まれば致命的である。
なおかつ、ツケ払いをしている連中のすべての所在を押さえられているわけではない。彼らは逃げようと思えばいつでも逃げられるのだ。
ではツケ払いを最初から認めなければいいのだが、そうもいかない。飲み食いした後、金がないといわれたら終わりである。金のない奴からは金は取れない。しかも客がひっきりなしに出入りする中で一人の客の精算にそれほど時間をかけるわけにもいかないのだ。結局のところ、対策的にはある程度ツケがたまった客には払いを先に求めるというくらいしななかったようである。
お茶屋ビジネスの経験インターンがお茶屋を経営できたのは5ヶ月ほど。その内、場所が決まって安定して店を出せたのは3ヶ月ぐらい。学業に戻るため店は締めることになった。
この間、これまで日本人が全く知らなかったバングラデシュのチャドカンビジネスを文字通り体験しながら情報をあつめることができた。最近はBOPビジネス(低所得層をターゲットにした、貧困対策に取り組むビジネス)という流行文句の中、一週間や10日くらいの滞在で貧困ビジネスを上辺だけ体験する学生が数多くいる中で、これほどBOPビジネスをどっぷり体験することになった学生はそう多くはないだろう。
また人材にも恵まれた。たまたまボビーという人材がお茶屋を始めるに当たって材料の準備、場所の段取りなどもプロモートできる人物だったのが良かった。ただし、彼は多少金には汚い所があり、後半はそれに手を焼いていたようだ。カラムはその点誠実だった。彼の粘り強さと運の良さに敬意を評したい。
後日談、インターンが卒業論文の調査をお茶屋のテーマで書くためにバングラデシュに戻ってきた。カラムはお茶屋仲間に聞けばすぐに見つかったが、ボビーは見つからなかった。なんでも地元を仕切っている有力者とトラブルになり、行方をくらませたという。ボナニ地区の道端でヨメさんにどつかれている姿が最後だったという。
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■執筆者プロフィール:田中秀喜
1975年生まれ。メーカー勤務、青年海外協力隊、JICA専門家を経てバングラデシュでコンサル業を起業。チャイナプラスワンとして注目されながらも情報の少なさから敬遠されがちなバングラデシュの情報源となるべく奮闘中。