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無実だけどブタ箱に、バングラデシュのムショ暮らし(田中)

2015年05月18日

電話がかかってきた。以前、知り合いの日本人の事務所で働いていた運転手からだ(以下、J)。こうして電話がかかってくるのはいつ以来だろう。その日本人の事務所はすでに撤退していたので、Jは別の仕事に就いているはずだ。

電話をとって近況を尋ねると「刑務所にいました」との返答。「え?刑務所?まさか?」とは思ったが、いろいろ話したいことがあるというので来てもらった。おおかた金の無心にやってくることは察しがついていたが、ひとまず保留。その後のやりとりが面白かったので、以下に書き留めておこう。

prison H15
prison H15 / [AndreasS]

裁判なしで刑務所行き

Jは見違えるようにスリムになっていた。
「健康的になったな。」
私が皮肉交じりに言う。ベンガル語では一般的に太ることを健康になると表現するのだが。
「本当に刑務所に行ってたみたいやな。」
彼はあいづちを打つと、事の顛末を話してくれた。

Jは、自宅の近所で起きたバイク盗難事件の被疑者として捕まった。たしかに性格はちょっと荒っぽいが、正義感が強いタイプでモノを取るような奴ではない。しかし、警察もそんなことはお構いなし。警察はJを警察署に連行し、数発殴った挙げ句、財布の中の現金まで取ってしまった。そして、警察は条件を突きつける。「今から1時間以内に5万タカ(約7万5千円)用意しろ。でなけりゃオマエはブタ箱行きだ。」当然ながら、そんな金をすぐに用意できるわけがない。不運にもブタ箱に放り込まれることになった。


バングラデシュのムショ暮らし

その話をきいていた私に、ある疑問が思い浮かぶ。「刑務所に放り込まれる前に裁判は開かれないの?」J曰く「裁判はすぐには開かれません。刑務所には裁判の結果、刑が確定した者もいますが、私のように犯罪容疑で刑務所行きになった人間もたくさんいます。」

その後、Jは刑務所の中の生活を語ってくれた。ダッカ南部、オールドダッカと呼ばれる地域。その一角にある刑務所に彼は収監された。彼がいたのは200人部屋。しかし、トイレは一つ。へたをすると用をたすのに30分ぐらい並ばないといけない。

刑務所内では寝ゴザ、ムシロのようなものが一人ずつ与えられる。そのスペースだけが、刑務所内唯一の自分の空間。一応天井に扇風機は付いているので、暑さもしのげる(はず)。飯はくさくてくそまずいが、ダールバット(豆のカレースープとごはん)が一応でる。病気になれば医者にもかかれるし、死なない程度に薬も処方してくれる。

囚人たちの国籍だが、日本人はみかけなかったという。中国人、オーストラリア人、アフリカ系はいた。何をやって捕まったかは知らない。

義務は一つ。毎日、朝夕に点呼があるので整列して気をつけの姿勢を取り、自分の番号を叫ばなくてはいけない。それ以外は自由時間。やることがないので誰かとしゃべって時間を過ごすしかない。

ちょっとぎょっとするのが囚人が死刑執行官を担うことがあるというエピソードだ。バングラデシュでは40年前の独立戦争の戦争犯罪人を今更ながら裁判にかけている。イスラム原理主義的政党の幹部が軒並み逮捕され、三人一部屋で天井扇風機もない部屋に押し込められているそうだ。

Jがムショ暮らしをする少し前に一人絞首刑になった。その際、囚人から志願者をつのり死刑を執行させたという。志願者は刑期が減軽されるが、誰がやったかはすぐに噂になり外部に漏れ報復されることになるだろう。先日はある志願者の実家が焼き討ちされたのだとか。自分の手を汚さず、他人に恨みを向けさせる手法はいかにも旧イギリス植民地らしい。


無実を証明しても釈放されず

「それで、どうやって刑務所から出たの?真犯人が見つかったからでられたの?」「犯人は私が捕まってから1、2カ月して捕まりました。でも出られませんでした。」「え、それで何で出れないの?」「そんなの、おかまいなしですよ。賄賂払うまでだしてもらえませんよ。絶対にね。」

この国の貧乏人には人権は本当に存在しないらしい。無実の罪で捕まって、裁判もなし。賄賂を払うまで刑務所暮らしとはあんまりだ。

「結局、20万タカ(約30万円)払いました。妻が走りまわって集めた金を弁護士がほうぼうに配ったんです。そのおかげでこうして無事にでられました。イード(イスラム教の正月のようなお祭り)の時期は警察もお金がほしいので、相場がさがるんでしょう。その時期を逃したらもう一年いるところでした。」Jは続ける。「イードの前の断食月は毎日のように出所者がいます。多い日には10人以上出所していましたね。」

どうやら、刑務所の囚人は管理している警察からみれば、“生きた”資産のような物らしい。イードのような出費の多い時に、都合に応じて現金化する。結局、彼は捕まってからイードの時期に出所するまで、合計半年ほど刑務所にいたことになる。その間、家族は収入なし。あまつさえ、ほぼ1年分の収入を賄賂として払ってしまった。

「逮捕される前の仕事は、当然ながらなくなりました。出所するときに集めた20万タカは、すべて借金です。これから仕事は探しますが、いま家に食べるものが何もないのです。」「わかった。もう少し早く頼ってくれればよかったのに。」

こういう時に頼られたときは、できるだけのことはしてあげるのがバングラデシュ流。仕事が見つかるまで、家族全員が食べていけるぐらいの現金をJに渡して帰らせた。

ひと月ほどして、仕事が無事に見つかったこと、そして渡してあげた現金を、妻が泣きながら感謝していた、と連絡があった。彼が付いた仕事はレンタカーの運転手。以降、彼経由で車を借りると格安価格になった。それでまあまあ元はとれたのだった。

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■執筆者プロフィール:田中秀喜
1975年生まれ。メーカー勤務、青年海外協力隊、JICA専門家を経てバングラデシュでコンサル業を起業。チャイナプラスワンとして注目されながらも情報の少なさから敬遠されがちなバングラデシュの情報源となるべく奮闘中。

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