バングラデシュの意外な輸出産業
バングラデシュ最大の輸出産業といえば縫製産業である。良質で安い労働力が手に入ることから近年競争力を増してきている。そして、意外と知られていないが、縫製産業に次ぐ輸出産業として、製薬産業がめざましい成長をとげている。2002~2010年にかけての製薬業界は年平均26%というハイペースで成長を続けてきた。製薬業界の国内マーケット規模は1000億タカ(約1500億円)。その内97%を国内産業が占める。
バングラデシュの日刊英字新聞The Daily Starによると、製薬産業の2012年輸出額は約50億タカ(70億円)である。2011年現在、製薬産業が輸出に占める割合は0.2%。割合こそ少ないものの着実な成長を続けている。
バングラデシュの薬代は世界一安いと言われている。例えば、風邪薬一本20円で買える。抗生物質も100円程度から買える。この安さのおかげで貧困層でも薬へのアクセスが可能になった。この安さの理由は2つある。一つはバングラデシュが発展途上国で、製薬関係の特許が適用されないこと。発展途上国における医薬品へのアクセシビリティを確保するため、特許による知的財産権保護の適用外にあるのだ。二つ目としては、薬を自国生産していること。これら2つの理由の背景については、後ほど詳述する。
この国の製薬産業が大きく成長するきっかけは一つの法律だった。1982年に制定されたNational Drug Policyによって、海外企業の活動を大きく制限され、国内企業に成長の余地を与えた。まずは1982年当時の状況を振り返ってみよう。
Medical Drugs for Pharmacy Health Shop of Medicine / epSos.de
ザ・貧困国
この国は、1971年の独立以降、実に多くの問題を抱えていた。
過剰な人口、極度の貧困、食料が足りない。病院が足りない、医者が足りない。学校が足りない。先生が足りない。そもそも予算がない。徴税能力がない。多いのは人だけであとはないないづくし。LDC(後発開発途上国)の問題をすべて抱えていた。
独立当時のバングラデシュは極度の貧困により、人口の半分がタンパク質不足。人口の三分の一が寄生虫感染や栄養不足による貧血症に罹患しているといわれていた(村山)。当時の悲惨な状況については、宮崎亮・宮崎安子(1985)に詳しく記述されている。
「頭が痛い、腰が痛い、お腹が痛い、足の関節が痛い、血便が出る、咳が出る、熱がある、虫が出た……」
何でもあるようです。調べてみると、アメーバ赤痢に回虫、ジアルジアという寄生虫、十二指腸虫、肺炎、関節炎。よくも一人でこんなに病気が持てるものだと感心。(p. 43)
このお母さんは結核でした。二人の子どもを残して父親は蒸発。お母さんは物乞いをして生活しているのでした。結核と診断されてカンゼンプール診療所から支給された薬を町で売っているところを診療所の職員に見つかってリンダに叱られている一幕でした。薬も注射液も、町で売ればお金になり、子供たちの何日か分かの食料になります。(中略)自分の命の薬を売って、泣いている子どもに食物を与える母親の心の痛みは私たちの想像を絶しています。(p.70)
「赤ちゃん何人生まれたの?」
「18人。本当に生まれたのは7人。」
「それじゃ、うそにうまれたのは11人だね。」
「うん。小さくて、息もしないでしんでうまれただ。」
「それでいま子供は何人いる?」
「三人だけ生きているよ。他はみんな死んじゃっただ。」(P.44)
死産や生後まもなく死亡するケースが多かったので、お母さんたちに子どもの数を聞いても答えられない人も多かった。よくよくきくと、いま生きている子どもの数を答えるのか、産んだ者も含めた総数を答えるのかわからないのだ。
当時蔓延していた病気は、肺炎などはもちろんのこと、アメーバ赤痢、百日咳、コレラ、ジフテリア、結核、腸チフス、ポリオなど。ありとあらゆる感染症がはびこっていた。たとえ政府やNGO団体のサポートにより診察が無料だったとしても、医師のいる病院までの交通費さえ払えない患者も多かった。そして診察を受けたとしても薬の値段は高く、庶民が手を出せる値段ではない。
さらに、農村では公衆衛生の不備も深刻だった。同じ川や池を飲用・入浴・洗濯・排泄に使っていた。下水と上水が分けられていないため、寄生虫や感染症のリスクがきわめて高かった。これでは治療を受けて治ったとしても、すぐにまた別の病気にかかってしまうだろう。
まとめよう。貧乏人は栄養不足の上に感染リスクが高い生活を送っていた。病気になれば借金をしないと薬が買えない。貧困層の仕事の多くは日雇いである。体を壊せばすぐに収入はゼロとなり、その日の食料さえも買えない。このようにして貧乏人はますます貧乏になるというサイクルが繰り返された。
国際資本を追い出せ
これらの国民の抱える貧困に起因する病気に対し、大きな貢献を果たしたのが1982年に制定されたNational Drug Policyである。
安価な薬の提供は、貧困対策として喫緊の課題だった。当時のバングラデシュでは、国内生産の75%がFISONS、Glaxo、Pfizer、Organonなどの多国籍企業によって占められていた。薬の価格を下げるためには、製薬業界に占める国内企業の割合を増やさなければならない。
また、流通していた薬の種類も問題だ。WHOは大多数の人々が健康を保つために必要な医薬品を182種類定めている。しかし、当時のバングラデシュではそのうち90種類未満しか作られていなかった。なぜなら、多国籍企業が自身の利益のために、必要な投資を行わなかったからである。
そのような背景を受け、1982年3月にM. H. エルシャド軍事政権がNational Drug Policyを制定した。この法律は、必須医薬品の質と量を確保する為の行政的、法的サポートを提供する目的で作られ、結果としてこの法律により国内企業が成長し、多国籍企業が市場から追い出されることになった。そして、医薬品価格の引き下げ、不要で必須でない有害な医薬品の市場から駆逐などが実現したのである。
この法律は当然ながら欧米多国籍企業から強い反発を受けるはずだった。しかし、政権発足から間もない時期で、エルシャド政権によって戒厳令が敷かれていたこと、さらに秘密裏に立法作業が進められロビイングの時間的猶予がなかったということもあるだろうが、海外企業の反対を押し切って法律は制定された。
あるいは民主主義政権だったら欧米諸国の圧力によりひっくりかえされたかもしれない。皮肉なことに軍事政権の強硬姿勢によってこのロックンロールな法律は実現し、その結果多くの貧しい人々の命を救うことになったのだった。
国内企業の成長
その法律の制定以降、成長した国内企業をいくつか紹介したい。
まず、もっとも勢力を伸ばした企業がSquareである。ゲーム会社とは別物。創始者であるS. サムソン H. チョードリーは 一代で財をなした立志伝中の人物として有名だ。1958年に設立した当時は、「アーユルヴェーダ」の知識などから作った飲み薬などを製造販売。オバチャンが台所で薬草をグツグツ煮て瓶に詰め、旦那がそれを売り歩くレベルから事業を始めた。
1982年頃から海外の製薬会社のライセンス製造を始め、業績を大きく伸ばす。1985年以来ずっとバングラデシュの製薬業界のトップに君臨し続ける製薬業界の雄である。昨年度の売り上げは200億タカ(約260億円)。ここ数年、年平均10%で売り上げを伸ばしている。
BEXIMCO(現在、業界3位)もSquare同様、エルシャド政権下で大きく成長した企業だ。BEXMCOの場合、設立当初は医薬品の輸入販売を手がけたが、のちに自ら製造するようになり、National Drug Policy の成立後に事業を大きく成長させた。製薬業界の成功後、経営を多角化し、繊維・通信・金融・発電所建設・テレビ局・新聞社などを手がけるバングラデシュ有数のコングロマリットへと成長した。Squre、Beximcoともどもエルシャド大統領のゴルフ仲間で、ロビイングにも長けていたようである。
TRIPS協定の後押し
国内市場で競争力をつけた製薬業界により、バングラデシュは製薬産業において輸入国から輸出国へとなった。現在、バングラデシュで販売されている医薬品の20%が特許医薬品、残り80%はジェネリック医薬品と推計されている(村山)。
輸出はTRIPS(Trade Related Aspects of Intellectual Property Rights、知的財産権の貿易的側面に関する協定)という国際条約も追い風となった。人道的配慮からLDCの製薬企業は知的財産権のある薬品でも特許料を支払うことなく製造できるようになったのだ。もちろん自由に世界中どこにでも輸出できるわけではない。
特許料免除の規定はLDCか、十分な薬品生産設備を持っていない国に適用される。後者の国に輸出する場合でも特許料は免除される。ただしこの規定は2015年12月31日に失効する。LDC諸国は規定延長を求めているが、現時点では結論は出ていない。
今後の動き
製薬業界の発展によって、貧困層の薬へのアクセシビリティが確保されたことはもちろんのこと、バングラデシュという国を大きく発展させる力となった。そのきっかけとなったのが法改正による国内企業の保護である。
一方、貧困を克服し栄養状態が急速に改善した結果、近年では生活習慣に起因する肥満が新たな課題となりつつある。National Drug Partyによって外資系製薬企業のバングラデシュ参入は困難だが、ヘルスケアサービスを含む医療業界全体を見れば、大きなマーケットが広がってきているとも言えるだろう。
参考資料:
・村山真弓(2013)「第4章 製薬産業」『
バングラデシュ製造業の現段階』村山真弓・山形辰史 編, 独立行政法人日本貿易振興機構アジア経済研究所, pp. 66-87.
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無実だけどブタ箱に、バングラデシュのムショ暮らし(田中)■執筆者プロフィール:田中秀喜
1975年生まれ。メーカー勤務、青年海外協力隊、JICA専門家を経てバングラデシュでコンサル業を起業。チャイナプラスワンとして注目されながらも情報の少なさから敬遠されがちなバングラデシュの情報源となるべく奮闘中。