安田峰俊『もっとさいはての中国』(小学館新書)を読了。
というか、本作だけではなくて、前作にあたる『さいはての中国』(小学館新書)、今春でた『性と欲望の中国』(文春新書)もご恵投いただいていたのだが、なかなか忙しくて通読できずにいたのを一気に読んだ。
いやはや、面白い。別版元の『性と欲望の中国』も含めて、まるで続きもののような「さいはて」っぷりが味わえる。思いつくままに3冊の舞台、テーマを列挙してみよう。
深圳をさまようネトゲ廃人
10万人の黒人が住むリトルアフリカ広州
習近平の聖地
内モンゴルのゴーストタウン
赤い植民地カンボジア
南京の新・慰安婦博物館
カナダの秘密結社
アフリカの小中国
中国農村の戦争
2000日の逃走劇を続ける民主活動家
エロ暴露で中国政界ゴシップの覇者となった大富豪
性都・東莞の今
世界最大の買春島
ラブドール仙人
……
なんとも香ばしいネタがずらり。だが、たんにゲテモノ的な面白さだけを追い求めているわけではない。安田は『もっとさいはての中国』の後書きで、次のように述懐している。
私は本書で、自分でもあきれるほどあちこちに行き、現地の日常の裂け目に顔をのぞかせる中国の姿を追いかけた。
中国はあらゆる場所に偏在している。だが、いまや世界2位の経済大国にしてサイバー大国であるはずの中国は、さいはての場所ではなぜか古めかしい顔を見せがちだ。
(…)
中国の怪しい魅力はやはり、さいはての地に詰まっている。そう声を大にして言いたい。
この言葉に大いに同意したい。中国はともかく面白い。ただし、その魅力は表の皮を1枚剥がした後でなければ見えてこない。「世界最先端のデジタル大国」やら「SF小説まがいのハイテク・ディストピア」、「独裁政党が支配する人権無視の発展途上国」といった紋切り型の視点からでは見えてこないものがある。
「さいはて」から中国をながめること。それは中国の本当の面白さに触れることにほかならない。今やルポの名手として名を馳せる安田は見事な筆致でそれを伝えている。